JP
JP

ニュース

News

  • 同窓会

【同窓会主催】修了生インタビュー(瀧田あゆみさん)

2006年にOSIPP博士前期課程を修了された瀧田あゆみさんにインタビューを行いました。瀧田さんは、国連本部でのインターンシップ等の経験を経て、現在は国際交流基金(Japan Foundation)に勤務され、人物交流や知的対話を通じ、日本と他国の信頼関係づくりに取り組んでいます。 今の職種に就職しようと思った理由を教えてください。 幼い頃、湾岸戦争のニュースに接し、「なぜ戦争するのか」「どうして平和ではいられないのか」といった素朴な疑問を持ったことが原点にあります。以来、様々な書籍を読む中で、何か自分にもできることがないかと考えるようになり、漠然とではありますが、国際社会に関わる仕事を志すようになりました。 大学や大学院で学ぶ中でも、世界規模の課題への学術的な関心と、目の前の社会との距離感に戸惑い、進路に迷うこともありましたが、転機となったのは、OSIPPでの授業や実地研修でした。特に印象に残っているのは、指導教官の黒澤満先生(軍縮国際法)からかけていただいた次の言葉です。 「日本は今戦争をしていませんが、過去60年前(当時)には戦争をしていました。今の日本は自動的に平和なのではありません。誰かが絶えず、日本と他国の関係がうまくいくよう努力しているから、友好関係が維持できているのです。」 この言葉を聞いたとき、それまで漠然と抱いていた疑問や関心が、現実の仕事のイメージと結びついたように感じました。危機が起きたときだけでなく、平時から国を越えた信頼関係を支える仕事があること、そしてその方法は色々あるものの、その努力の一端を担いたいと考えるようになったことが、自分にとって大きな転機となりました。 「最後の3フィート」を埋める対話の力 さらに、その後の研究で触れた「パブリック・ディプロマシー(Public Diplomacy)」の概念も、進路を考える上で重要な手がかりとなりました。非常に幅広い概念で、この定義や有効性については専門家の間でも様々な議論があるため詳述は避けますが、「フルブライトプログラム」などの人物交流や教育・文化・知的対話が、長期的に国と国との関係を支えるという発想は、それまで思い描いていた外交や国際関係のイメージを広げるものでした。もちろん文化交流や人物交流だけで、国際社会の課題や衝突を解決できるわけでは到底ありません。しかし、梅棹忠夫先生の「文化は安全保障の不可欠の一部である」という言葉が示すように、異なる背景を持つ人がお互いを知ろうとし、国を越えて信頼関係を築き、相互理解を深めることは、国際関係を支える「一つの方法」ではないかと考えるようになりました。 パブリック・ディプロマシー分野を代表する米ジャーナリストであるエドワード・マロ-(Edward R. Murrow)氏は次の言葉を残しています。 “The real crucial link in the international exchange is the last three feet, which is bridged by personal contact, one person talking to another.” 国際交流における真に重要な繋がりは、最後の「3フィート」にあり、それは人と人とが直接接し、言葉を交わすことで埋められるという趣旨ですが、国際関係が最終的には人と人との顔の見える関係・対話に支えられているということを端的に示す言葉だと感じました。あらゆるコミュニケーションが自動化・効率化され得る時代だからこそ、AIでは代替できない、自分の目で見て直接話を聞くこと、生身の人間が温度感を持って向き合うことの価値は一層増しているとも言えるのではないかと思います。 文化・人物交流が国際関係を支えるという問題意識を踏まえ、どのような経緯で国際交流基金の職に就かれたのでしょうか。 これまで述べてきた問題意識の延長線上で、人物交流や文化交流を通じて国際社会との関係構築に取り組む国際交流基金の活動に関心を持ち、この分野での実践に携わりたいと考えるようになりました。 就職活動の過程で一度立ち止まる時期がありましたが、その間に参加したニューヨークの国連本部でのインターンシップが次の転機となりました。国連軍縮室(当時は軍縮局)アジア太平洋センターで、国連総会や第一委員会の議論の記録・要約作成、関係会合の準備などの業務に携わりました。 その場で交わされる議論が次の日のニュースヘッドラインになっていくような、国際政治の議論の生の現場を間近で見られたことは貴重な経験であったと同時に、国際的な場において日本の立場や考え方を丁寧に伝えていく役割の重要性を実感する機会ともなりました。 こうした経験を経て、帰国後は日本に軸足を置きながら、交流を通じて国際関係を支える仕事に携わりたいという思いが更に固まっていきました。その延長線上に、現在の仕事があると感じています。 現在の仕事内容とその魅力や面白いところ、大変なところを教えてください 国際交流基金は、総合的に国際文化交流を実施する日本の専門機関(独立行政法人)で、「日本と世界をつなぐ場をつくり、人々の間に共感や信頼、好意を育む」ことをミッションとしています。現在は、国際対話部という部署で、米国、ASEAN、インド太平洋地域を中心に、研究者や実務家などが国境を越えて対話し、ネットワークを形成するためのプログラムの企画・運営や助成事業に携わっています。 国際交流基金は海外に26ヶ所の事務所があり、これまでタイ・バンコクおよび米国ニューヨークで計約8年間、海外の現場で業務にあたりました。タイではメコン川流域諸国(タイ、ラオス、カンボジア、ミャンマー)との文化・芸術交流事業を担当し、ニューヨークでは、日米間の知的交流事業を中心に、大学やシンクタンクとの連携、研究者や実務家の共同研究の支援などを担当していました。 特に印象深いのは、防災をテーマにした国際的な学び合いです。私自身も阪神・淡路大震災を経験していますが、米国ニューオーリンズがハリケーン・カトリーナの被害を受けた際、神戸の関係者と経験や教訓を共有し、復興や防災について学び合う交流事業の企画・実施の一端を担う機会がありました。その後もタイや米国で、そして日本を含むインド太平洋地域で、防災を共通の課題として経験や教訓を共有し、次の世代へと伝えていくための交流事業に携わってきました。 これらの取組では、どちらか一方が相手に知識を「教える」のではなく、災害を経験した被災地の人々同士が対話を通じてお互いの経験や知見を交換し、共に「学び合う」ことを重視しました。異なる社会背景や文化を前提とし、災害という共通課題を前に、一緒に現場を訪れ、直接言葉を交わすことで、お互いへの関心が深まり、違いを超えた相互理解や信頼が少しずつ育まれていきます。これらの過程を通じて、異なる文化や文脈、社会状況を尊重しつつ協働する関係づくりの難しさと重要性、人と人との出会いが持つ力を実感しています。 人物交流や文化交流は華やかな印象を持たれることもありますが、国際交流基金における仕事は、交流の主役である参加者の方々が出会い、交流する場を陰で支える「裏方」の仕事です。実際の業務は、事務手続きや調整など地道な作業が多々あります。成果がすぐに目に見えるとは限らず、数値化しづらいことや、成果が現れるまでに長い時間を要することも少なくありません。他方で、分野や国境を越えて人々が出会い、対話から新たな関係が生まれる瞬間に立ち会えることは、この仕事ならではのやりがいを感じるところです。交流の成果が数年、あるいは十数年後に思いがけない形で花開くこともあります。そうした人のつながりに息長く関われることに、この仕事の面白さを感じています。 現在の職種を志望される場合、学生時代にどのような準備をしておくとよいでしょうか。 今の仕事は分野が幅広く、常に新しいことを学び続ける必要があります。例えば、現在携わっている知的交流は、多岐にわたる地球規模の共通課題への、国境を越えた共同の取組を支援するため、政治・経済から、パンデミックや気候変動、高齢化や地方創生といった様々なトピックに触れますし、国際交流基金全体では、美術や映画、音楽などを始め、伝統から現代まで広い文化や言語を扱います。職員個々の学びでは限界がありますので、多様な分野の専門家の助言や協力をいただきながら仕事を進めることがとても重要になります。 今振り返ると、学生時代には、特定のスキルを磨く以上に、自分の関心を広げ、わからないことに向き合う姿勢を持つこと、専門外の分野や異なる考え方を持つ人との対話・交流、様々な体験をしてみることが、その後の仕事にも繋がっているように思います。学生時代に一見関係ないと思えた経験が、後になって思いがけず役立つことも少なくありません。 OSIPPではどんな学生生活だったか、OSIPPで学んだことで役立っていることなどを教えてください。 振り返ると、本当に多くの方々に支えていただいたと感じています。特に、国際的とは言えない環境で育った私にとって、大学院で出会った先生方の導きは大きく、学際的な授業や実地研修、時には外部専門家の招聘授業を通じて、物事を多角的に捉える視点を示し、国連インターンなどの挑戦の機会もいただきました。こうしたご指導がなければ、今の自分はなかったと思います。 また、大学院で出会った友人は、現在は研究者や記者など、それぞれの道で仕事と家庭を両立させながら活躍していますが、何かあれば駆けつけ、支え合える関係が続いています。彼女達の、足で情報を集め、自ら動いて学ぶ姿勢は、OSIPPでの学びを通じて身についたものなのかもしれません。尊敬できる友人たちの存在から、今も多くの刺激と学びを得ています。 OSIPPの留学生との交流で得られた国際的な縁も、現在の仕事に生きています。例えば、インド太平洋地域の協働ネットワーク事業で連携しているオーストラリア研究所では、偶然にもOSIPP同窓生がカウンターパートとなり、学生時代に築いた信頼関係が、国を越えた協働へと発展しています。振り返ってみると、大学院で得た最も大きな財産は、人との出会いだったと感じています。その出会いが、今も仕事や人生を支えています。 現在のOSIPP生の皆さんへメッセージをお願いします! 大学院で過ごす時間は、学内で開かれている機会を活用して多様な選択肢を知り、将来の土台をつくる時間だったように思います。具体的な進路がまだ定まっていない時期も、迷いや不安も含めた様々な経験が、後になって「点と点がつながる」瞬間を実感することもあります。OSIPPで得られる学びの時間や、先生・友人・外部専門家など、たくさんの人との出会いを大切にしながら、実り多い日々を過ごされるよう願っています。
  • 同窓会

【同窓会主催】修了生インタビュー(末村祐子さん)

2008年にOSIPP博士後期課程を修了された末村祐子(すえむらゆうこ)さんにインタビューを行いました。末村さんは現在、大阪市天王寺区長を務められ、24区の区長会議会長としても大阪・関西万博やSDGsほか政策実現に向けた企画立案や調整業務に取り組まれています。インタビューには赤井伸郎先生も同席しました。(写真:インタビューの様子。右上が末村さん。) 今の職種に就職しようと思った理由を教えてください。 振り返ってみると、だいたい10年から12年ごとに三つのステージがありました。最初の12年間は、企業・海外・NGO・国連会議フォーラム事務局での経験です。最初の就職先は旭化成でした。男女雇用機会均等法が施行されて間もない頃のことです。人材育成に力を入れてくださる会社で、組織とプロジェクトマネジメントの基礎を学ぶことができました。その後、海外でNGOの経験を積み、最後に携わったのが阪神淡路大震災の復興事業でした。2番目の12年間は、OSIPPでの研究と複数自治体への有識者的参画を並行した時期です。OSIPPでは行政経営・行政改革・防災・NGOといった領域を中心に研究を深めながら、実務にも関わってきました。3番目の約10年間は、政策に係る知識・情報を活用した実社会での取り組みです。東日本大震災の被災自治体の復興支援から始まり、復興庁、岩手県岩泉町での副町長を経て、現在は大阪市の区長を務めています。 これら職種を選んできた理由としては、社会の成熟や全体への関心、進化することや公正であること、そのバランスなど、望ましい解への関心が強かったからだと思います。知識と経験の双方を持つ専門人材になることを個人の目標としてきました。 どうしてOSIPPへ入学することを決断したのか、詳しくお聞かせください。 阪神淡路大震災の復興事業にNGO職員として携わった後、国連会議に出席する機会がありました。当時、日本の国連会議への出席は、霞が関の職員と政治家によるチームで編成されていました。しかし阪神淡路で活動した民間企業やNGOも一緒にチームを組んで出席する体制にすべきだと、当時所属していたNGO側からアプローチしたんです。 その結果、私はNGOから国連会議の事務局に出向し、事務局次長を務めることになりました。ところが、実際に国連会議に出席してみると、海外の方々の活躍のレベルが高く、自分の知識・経験の不足を感じました。海外では、政府・企業・NGOが日頃は利害が異なっていても、国のチームとして一つになったときには協力してアジェンダを獲得していく。そういうアプローチをしっかりされていたんですね。この経験が大きな転機となり、公共政策の領域で活躍するには学際的な理論を理解する必要があると感じ、社会人にも門戸を開いていたOSIPPに入学することを決めました。 現在の天王寺区長としてのお仕事について教えてください。 現在の天王寺区区長職では、区役所業務の管理、組織管理、危機対応等の統括業務を所掌しています。大阪市は「ニアイズベター」という理念を重視しており、住民に最も近い区でさまざまな調整を行うことから、区長はそのマネジメントの統括役を務めます。また、区長は区の教育委員会事務局次長も兼任しており、この点は他都市にはない特徴です。さらに、市の各局や24区間、官民の連携を担保するために「区長会議」という仕組みがあり、昨年度からその会長職を務めています。24区で連携しながら大阪・関西万博の機運醸成やSDGsの推進などにも取り組んでいます。 大阪市の特徴として、平成24年6月施行の要綱に基づき、区長の民間からの公募制が十数年続いています。日本の公務員の世界では珍しく、こうした仕組みを継続している自治体は今のところ大阪市だけかと思います。銀行や鉄道、教育ほか多様なバックグラウンドを持つ民間出身者と、市の職員出身の方が一緒に24区の業務に取り組んでいます。 これまでのお仕事の魅力と大変なところを教えてください。 どんな仕事でも、企業でも非営利でも、人も物も資金も、これらが投じられた先では、やはり社会全体が良くなっている、安定もし、進化もしているというところにつながってほしいと考えています。その点、税を財源に、直接貢献できる、そこが地方行政の仕事の一番の魅力だと思います。 大阪市のような政令市が都市計画や環境保全などより広域的な行政を担うのに対し、基礎的自治体の場合は、福祉や教育、保健衛生などを中心に、人が健やかに生きていくということに直結する仕事ができます。行政を通じた資金やサービス、社会ニーズへの取り組みの多くが、他者や社会への貢献に直結している。これは業務上の大きな魅力です。同時に、無尽蔵かつ変化もある多様なニーズに対して、資金も職員も資源は有限です。これらを複合的に網羅し、現実の社会における最適解を見出すには、理論・知識・情報・経験による総合知という縦割りではない専門性が必要です。これまで様々な行政機関で経験を積んできましたが、それでもまだまだ自分の成長の余白がある。そこも仕事における魅力の一つです。 一方で、OSIPPで勉強すると、税をいかに正しく使うかということがとても気になるようになります。「正しい使い方」とは何か、人によって違う。そこに正面から向き合うことになります。2040年を境に人口が本当に縮小していく中で、投じたものがただ右から左に流れるだけでなく、日本社会の成長や持続可能性につながる使い方になっているかどうか。最適解を見つけることは大変ですが、そこは常に考え続けています。 最後に、現在のOSIPP生にメッセージをお願いします。 学部を卒業してすぐにOSIPPに入学する方が多いことを前提にお話しすると、国際的、そして学際的な学問の場であるOSIPPを若いうちに経験できることは、変化の時代にはことさら幸運だと思います。阪神淡路大震災の時でさえ、「これから大きく変化しなきゃ」と社会では言われていました。その後、失われた30年と呼ばれる時期を経て、今また日本は大きな変化の局面にあります。人口の2040年問題を筆頭に、高齢化が進展し、これらを背景に今まで以上に社会課題も広範かつ深刻化が増すことを考えると、限りある資源が投じられた後、ただ右から左に流れるだけでなく、全く違ったステージに突入します。地球全体でも、国際関係の変化やテクノロジーの進化など、本当に変化の時代です。そのことに正面から向き合いながら、小さくまとまらず、おおらかに、多様に経験を積んでください。 私自身も卒業した後、これまでの公共や非営利とは真逆のメカニズムを持つ市場や企業、営利の経済活動を網羅的に理解し直したく、MBAを取得しました。そこでも学問も大変進化していると気づかされましたし、出会った人たちの考えにも刺激を受けました。皆さんが生涯ずっと何かしらの形で社会に貢献できるように、いいチャレンジをともにできたらと思います。 大きく変化する時代を、OSIPPでの経験を胆力に、自己実現と利他の両方で社会に貢献されることを願っています。 (OSIPP博士前期課程 原田嵩弘)
  • 同窓会

【同窓会主催】修了生インタビュー(工藤正樹さん)

OSIPPの卒業生の工藤正樹さんにインタビューを行いました。工藤さんは2004年にOSIPPの博士前期課程を修了、2008年に博士後期課程を修了し、現在はJICAで勤務されています。(写真:現地職員との1on1面談の様子。左が工藤さん。) (写真:現地職員との1on1面談の様子。左が工藤さん。) これまでのご経歴、現在の職種に就職しようと思った理由を教えてください。 経歴:博士後期課程の間に1年間休学し、在アフガニスタン日本大使館にて働いたのち、国際協力銀行(JBIC)に専門調査員として就職しました。中途採用を経て、その後、JBICが国際協力機構(JICA)と統合しました。JICAでは、東・中央アジア部→エジプト事務所→アフガン事務所→安全管理部→防衛省(出向)を経て、現在はパレスチナ事務所で勤務しています。 現在の職種に就職しようと思った理由:私は、学部の卒論から「小型武器」の軍縮不拡散に関する研究をしてきました。そのトピックの関連で、博士後期課程の1年目にアフガニスタンで働く機会を得ました。その際、政府開発援助(ODA)の世界に触れて関心を持つようになり、ポストコンフリクト(紛争が発生した後の社会)の研究をするために当初は研究職としてJBICに就職しました。平和構築・SSR(治安部門改革)の研究をしたのち、JBICとJICAが合併してJICAで紛争影響国支援を行うようになり、現在に至ります。 (写真:C Palestinian News Network (PNN)パレスチナの難民キャンプの様子。紛争の影響もあり、ヨルダン川西岸地区でも日々、生活が苦しくなってきている。視察時に現地TV局の取材を受けているところ。(右から2番目が工藤さん)) 現在の仕事内容とその魅力や面白いところ、大変なところを教えてください。 現在の仕事はマネジメントですが、事業管理と(事務所内の)労務管理の割合は、およそ3:7位でしょうか。事業(開発援助)の魅力は「世界の一角を良くする」ことができたなと思える瞬間に出会えることです。支援で実際に、相手国の抱える問題を解決したり、日本の技術が他国で生かされて、発展につながる瞬間に出会えるのは、開発援助ワーカーとして、やりがいを感じます。一方で、大変なところは途上国の「YES」はYESではないことが多いことですね。日本と「常識」が異なることです。 マネジメントでは、職場の環境や仕組みづくり、人のマネジメント・育成を行っています。その魅力は同僚のポテンシャルを発掘して成果につながったり、コーチングで成長したりする瞬間に出会えることです。大変なことは人のマネジメントや仕組みづくりは「成果」がでるのに少し時間がかかる点でしょうか。 国際交流における真に重要な繋がりは、最後の「3フィート」にあり、それは人と人とが直接接し、言葉を交わすことで埋められるという趣旨ですが、国際関係が最終的には人と人との顔の見える関係・対話に支えられているということを端的に示す言葉だと感じました。あらゆるコミュニケーションが自動化・効率化され得る時代だからこそ、AIでは代替できない、自分の目で見て直接話を聞くこと、生身の人間が温度感を持って向き合うことの価値は一層増しているとも言えるのではないかと思います。 (写真:難民キャンプ改善プロジェクトの様子。難民キャンプの改善事項や予算の使い方を、社会的弱者も含めた「インクルーシブな住民参加型」の協議体で話し合って決めるやり方を技術指導。より住民のニーズに寄り添う形で計画策定がなされるようになり、それにより、他ドナーや他国の自治体からもファンドをもらえるようになった。(工藤さんはテーブル席の左から3人目)) これまでの経歴の仕事や、現在の職種を希望する場合は、学生時代にどんな準備をしておくべきでしょうか。 認知能力と非認知能力の両方をのばす経験をしてもらうことが大事だと思います。 認知能力:OSIPPで政治、法、経済の学問に触れることで、「考え方の基礎」と「思考の枠組み」を養えたと思います。いろいろな概念に触れられることができ、文章力と「言語化」のトレーニング(=仕事でも重要)ができました。また、「小型武器の軍縮不拡散」というテーマを軸に、修士時代に、国際法→経済学→政治学と3つのアプローチを模索してみました(最終的に博論は政治学で執筆)。この「寄り道」は、振り返るととても有益でした。というのも、政治・経済・法律の基礎概念があると、どのようなトピックが来ても、大枠のところで対応・理解できるようになり、実務では非常に便利だからです。国際会議に出席すると感じるのですが、背景知識がある会議とそうでない会議では、内容の理解・吸収度が全く異なります。自分の専門外の領域であっても、学ぼうと思えば、政治・経済・法律についての知識を得ることができるのはOSIPPのメリットだと思います。 非認知能力:とっつきにくい用語かもしれませんが、要するに「ただ勉強ができるだけの人」にならないよう人間力も鍛えよう、ということかもしれません。非認知能力については、振り返ってみれば、学業以外で行ったいろいろな活動や経験が、のちのち仕事でも生きているように思います。例えば、院生会で幹部をしていた時に他の学生間で起こったトラブルを仲介する場面がありました。当該の学生2人だけで話してもらうのではなく、自分自身が間に入って2人が話すのを見ているだけでも話がうまく進むことを知りました。この経験は今のマネジメント業務でも多方面で生かせています。 現在の職種を希望する場合には、採用面接では以下の観点で話を伺っています。これらについて考えながら志望されると良いのではないでしょうか。①志望動機(志と熱意)、②資質(能力と伸びしろ)、③職場にフィットするか(相性) OSIPPでの学生生活、思い出、学んだことで役立っていることがあれば教えてください。 OSIPPでの学生生活は「勉強しながら遊んで、遊びながら勉強した」という感じだったと思います。OSIPPでの思い出は色々ありますが、あえて絞ると次の3つになります。 ①黒澤ゼミ:黒澤先生の「しかけ・仕組み」作り。例)定期研究会(他ゼミ生も参加)学生の資料提出期限の設定の仕方や発表機会の設け方など、勉強を続けるための環境が整えられていたと思います。 ②学友:頻繁に先輩と後輩との飲み会があり、勉強の気晴らしになっていました。  ③院生会:振り返ると、利害の対立と調整を経験する貴重な機会でした。院生会で幹部をしていた際、留学生同士のもめごとの仲介をする機会がありました。院生会で課題として取り上げて介入しつつ、基本的には、私は間にいて話を聞いているだけだったのですが、双方の主張を、できるだけ公平な立場でひたすら傾聴するだけでも、双方の話がうまく妥協していく方向に進んでいくように感じました。この感覚は今現在のマネジメント業務で同僚や部下の話を聞くことが多い状況でも生かされています。 人物交流や文化交流は華やかな印象を持たれることもありますが、国際交流基金における仕事は、交流の主役である参加者の方々が出会い、交流する場を陰で支える「裏方」の仕事です。実際の業務は、事務手続きや調整など地道な作業が多々あります。成果がすぐに目に見えるとは限らず、数値化しづらいことや、成果が現れるまでに長い時間を要することも少なくありません。他方で、分野や国境を越えて人々が出会い、対話から新たな関係が生まれる瞬間に立ち会えることは、この仕事ならではのやりがいを感じるところです。交流の成果が数年、あるいは十数年後に思いがけない形で花開くこともあります。そうした人のつながりに息長く関われることに、この仕事の面白さを感じています。 (写真:OSIPP時代の写真(黒澤先生と黒澤ゼミ@軍縮会議) 現在のOSIPPの学生にメッセージをお願いします! 社会人になると「学生の時のような知人・友人」関係ができる機会はほぼ皆無になるので、学友関係の貴重さを改めて感じています。また、特に博士後期課程では一人で勉強する作業が多くなり、モチベーションの維持が重要になります。私自身がOSIPP生時代に、指導・副指導教官から言われて心に残っている言葉をお伝えしようと思います。 ・一つのことを徹底的に突き詰める。時間と締切は厳守(黒澤先生・当時の指導教官)・目の前のことに一生懸命に取り組む(星野先生・当時の副指導教官)・やる気のマネジメントと健康の大切さ(栗栖先生・当時の副指導教官) 写真:インタビューの様子。窓の外の風景(右側)は、パレスチナの中心都市ラマッラの街並み。 (OSIPP博士前期課程 奥野愛理)
  • 同窓会

【同窓会主催】修了生インタビュー(芥川晴香さん)

2017年にOSIPP博士前期課程を修了された芥川晴香さんにインタビューを行いました。芥川さんは卒業後、日本貿易振興機構(JETRO)に就職され、7年勤務した後、現在は清水建設に勤務されています。また現在、社会人院生として一橋大学の大学院で経営学を学ばれています。(写真:芥川晴香さん) このような経歴の職種に就職しようと思った理由、現在の職種に就職しようと思った理由を教えてください。 JETROに就職しようと思ったきっかけは、修士1年の夏に参加したインターンシップでの経験でした。JETROのことは、社会科学系の研究機関であるアジア経済研究所としては知っていましたが、アカデミアでも信頼を置かれているJETROがビジネスではどのように貢献しているのかに興味があり、インターンシップに参加しました。もともと、日本の経済やビジネスがどのような構造になっているのか、何が価値の源泉になっているのか、今後日本がどのように成長していくのかに関心があり、また政府機関でルールメイキングに携わるよりもビジネスを間近で経験したいという思いもあったため、JETROを選びました。また、海外に繋がる研究をしていたので、海外で働きたいという気持ちもあり、総合職では必ず海外駐在があるという点も魅力に感じていました。 JETROではどのような仕事をされていましたか。 JETROでは、入社後の4年間は東京で日本企業の海外展開支援や海外企業の日本への誘致活動に従事し、その後クアラルンプールと横浜で、日本発スタートアップのグローバル展開支援に携わりました。クアラルンプールに駐在した時期が、東南アジアでもようやく政府レベルで気候変動への対策をしていこうという流れがあったタイミングでした。それに対し、日本政府やジェトロは、「これまで日本が培ってきた省エネ技術をはじめとする環境への取り組みが、東南アジアの課題解決に貢献できるのではないか」という仮説がありました。その仮説のもと、脱炭素に係わるビジネスチャンスについて検討したり、マレーシアの国営企業やスタートアップがどのような課題に取り組んでいるのかを調査し日本の企業に情報提供をしたりしていました。 そのような業務から現在の職種へはどのような経緯で転職するに至ったのでしょうか。 駐在中に、日本やマレーシアの起業家と接する機会が多くありました。マレーシアの市場は成長していて、起業家達も、目指す社会や、その社会に対して何をするのかクリアに描けていて、それに向けて前進するのみといった方ばかりでした。その姿にとても魅力を感じていました。JETROや政府機関では、企業が投資する前の下準備をしたり、投資した後に生じた問題を政府同士の交渉で解決したりと、環境整備がメインとなっていましたが、起業家と接しているうちに、自分自身もプレーヤー側に立って実際にビジネスをやってみたいという思いが強くなりました。また、最終的に事業に関する意思決定をするのは事業会社でもあり、自分自身で選び最後までやり切りたいという思いも抱いていたため、事業会社の中でも新規事業や事業開発でポストを探していたところ、清水建設とのご縁をいただきました。清水建設では、全社のイノベーション推進をミッションに、社内新規事業制度の運営と同制度を使ったプロジェクト推進を行っています。特に、資源循環や脱炭素といった地球規模の社会課題をビジネスとして解決することを大きな目標にしています。また、OSIPPでの実践よりのアカデミアの経験が社会で非常に役に立つということは確信していたので、政府機関から民間企業に移るにあたり学び直そうと一橋大学のMBAに通い始めました。働きながら学ぶということには、今日学んだことを、次の日会社で実践できるという魅力があると感じています。現在は、特に大企業が社会課題をどうやってビジネスという枠組みで解決していくか、というところに関心を持って研究やコースワークに取り組んでいます。 これまで経験されたような職種を希望する場合は、学生時代にどんな準備をしておいたらよいでしょうか。 JETROのような政府機関でも、清水建設のような事業会社でも、いわゆる「文系修士」が果たせる役割はとても大きいと考えています。近年ではビックデータの重要性が社会的に高まっており、データからどのような傾向があるのか、を簡単に知ることができます。ただ、なぜそれが起こっているのかは、データの分析だけでは難しいことがあります。社会科学を学んでいる学生の多くが、さらにそこからケースを見て、因果関係がどのようになっているかを解き明かすことがセットで重要であることを理解していると思います。社会科学や人類学の、問題が起こっている場所に深く入り込み、インタビューやエスノグラフィを通して、問題の根本を解き明かしていくというアプローチは、社会にとって不可欠だと思います。一方で、インターネットで検索すれば誰でもすぐに情報が手に入れられるため、知識そのものの陳腐化は早くなっているように感じています。そのため、「何を勉強していたか」というより、Howの部分の、どのように適切な問を立てるのか、問に対しどのように解決策を導くのか、といった問題解決のための考え方や思考力の価値が高まっていると実感しています。その力があれば、政府機関でもビジネスの場でもどちらでも社会の役に立てる人材になれるのではないかと思います。 OSIPPではどんな学生生活だったか、OSIPPでの思い出、OSIPPで学んだことで役立っていることなどを教えてください。 OSIPPでは、民主化の流れに対して権威主義体制側がどのような反応を取っているのかについて研究していました。2012年に大学に入学した時期が、ちょうどアラブの春と言われる民主化の波が起こっていました。主に過去の出来事から学ぶ政治学で、「今」起こっていることを学ぶチャンスだと思い興味を持ちました。当時、民主化の研究は欧米の研究者が中心で、民主化を後押しする要因についての研究は多いものの、権威主義体制側から見てどのように民主化を防ごうとしているのか、そのために権威主義国家同士がどのように協力しているのかの研究は多くありませんでした。そのため、体制側に着目し、民主化に対してどのような反応をするのか、何が要因で民主化を防げるのかを研究しました。在学中はカタール大学にリサーチアシスタントとして、インターンシップにも参加しました。OSIPPでの学生生活では、留学生との交流が特に印象に残っています。例えば、私がJETROに魅力を感じたのも、留学生との対話があったからだと感じています。当時、メディアなどでは「日本が発展途上国の成長を助けてあげるべきだ」といった偏った風潮が多くありました。OSIPPには東南アジアからはもちろん、スーダン、パキスタン、シリアからの留学など様々な国出身の同級生がおり、彼らと一対一で話すと、「助ける側と助けられる側」というような関係に違和感を抱くようになりました。JETROは、世界の平和を最も大切にしているものの、日本のための組織で、日本が成長することも同様に重要視しています。OSIPPでの留学生との対話や多角的な視点が、日本の立場で対等に社会に貢献していくというJETROの考えに共感するきっかけとなったと思います。 最後に、現在のOSIPP生にメッセージをお願いします。 今、社会課題の解決は、政府や公共部門だけでなく、ビジネスセクターが積極的に関わるべき時代になっています。民間企業が社会課題に取り組むことは、持続的かつインパクトも大きくその結果様々な人を巻込むことができます。OSIPPで「社会を良くしたい」という志を培った皆さんは、公的機関だけでなく、事業会社やスタートアップなど、あらゆる分野で活躍できる大きなチャンスを持っています。OSIPPで培った多角的な視点と、多様な価値観を理解する力を武器に、キャリアの可能性をパブリックセクターや研究者に限定せず、ぜひ広く探索してみてください。皆さんがご自身の信念をもって、社会変革の担い手として活躍されることを心から応援しています! (OSIPP博士前期課程 山本葉月)
  • イベント
  • 同窓会

OSIPPオンライン大同窓会2025 開催

OSIPPオンライン大同窓会 2025年11月30日、OSIPPオンライン大同窓会2025が開催された。この会は赤井伸郎教授をはじめとする同窓会実行委員会の尽力により企画され、OSIPP修了生のネットワークの強化・および現役生や教職員との交流を目的としている。当日は修了生に加えて、現役生や現職・退職教職員が参加し、画面越しながらもにぎやかな雰囲気となった。 開会にあたっては、まず赤井教授から、OSIPP30周年記念式典をはじめとするOSIPP同窓会「動心会」の直近1年の活動報告が行われた。続いて、動心会会長の辻本賢氏の挨拶が、動心会事務局長の小林義彦氏により代読された。その後、大槻恒裕研究科長からOSIPPの現状について、教育・研究活動や学生の状況などを含めた報告があり、博士後期課程の制度改革や学際プログラム、高大連携など近年OSIPPが力を入れている取り組みについての紹介があった。 卒業生による特別報告として、田中弥生氏(前会計検査院長)による講演が行われた。実務と理論を往還しながらキャリアを重ねてきた田中氏ならではの視点から、会計検査院の役割と財政民主主義の重要性について語られた。 会計検査院は、「財政民主主義のインフラ」として機能する憲法第90条に基づき設置された独立性の高い憲法機関で、日本で唯一の財政監督機関である。検査の対象は日本銀行のバランスシートや国債発行の動向、東京オリンピック・パラリンピック関連事業、農業政策や年金制度、租税特別措置の効果など、多岐に亘る。田中氏は2024年1月に内閣総理大臣から任命され、院長としてその職務にあたった。 在任中に行ったこととして、田中氏は戦後初めて補正予算の執行状況を体系的に把握したことに触れた。そしてその結果、予算が翌年に全額繰り越しているものがあり、その半分強が執行されていないことが明らかになったと述べた。緊急に必要だという理由で組まれたはずの補正予算に執行されていないものが多いことは、どういう根拠で、どういう積算をして補正予算の要求をしているのかについて確認し、見直す必要があることを示唆する。田中氏は検査を通じて日本の財政運営に新たな視座を与えたことも強調した。 講演の後半では、田中氏のキャリアの背景にあるピーター・ドラッカーとの出会いについても紹介された。田中氏にはドラッカーから授かった2つの大きなテーマがあるという。1つは「非営利組織のマネジメントと評価」、もう1つは「ナチスの全体主義と民主主義」であり、この2つがその後の転職や生き方を大きく方向づけてきたそうだ。このうちの「ナチスの全体主義と民主主義」というテーマを通じて、田中氏は個人の関心がどのように公共の問題とつながっていくのかを考え続けてきたことが語られた。その延長線上に、財政民主主義を支えるインフラとしての会計検査院での仕事への就任があり、田中氏は「これまでやってきたことを一度すべて手放して、その役割に飛び込んだ」と振り返った。 田中氏のキャリアには、テーマを追い続けるために学びと実践を繰り返す姿勢が一貫している。非営利組織のマネジメントや政策評価を学び、国際協力銀行や会計検査院といった現場でその知見を活かしてきた。講演では、こうした学びと実践の往復運動を通じて自らのテーマを深めてきた歩みが語られた。その経験を踏まえ、OSIPPには学生や卒業生にとっていつでも戻ってきて学べる環境を提供してほしいこと、またOSIPPの現役生・修了生に向けて、「自らの関心を追求し続けること」「好奇心を大切にし、多様な人と出会うこと」「本務とは別に自分のテーマを育てる“2枚目の名刺”を持つこと」の重要性が力強く語られた。「まず望み、チャレンジすれば、必ず得るものがある」というメッセージは、参加者の心に深く響いたようだった。 同窓会の後半では、少人数に分かれてのグループ別交流会が行われた。各グループでは、ファシリテーターの進行のもと、参加者が近況を報告し合いながら、OSIPPネットワークの活用方法や今後の同窓会のあり方について活発な意見交換が行われた。参加者からは「社会人学生が履修しやすいような柔軟な学修環境を整えてほしい」といった声などが寄せられた。こうした意見に対し、現役教員からはOSIPP内で進められている議論などについて説明があり、現場の声と大学側の取り組みが交差する場ともなった。 今回で3回目となるオンライン同窓会は、地理的制約を超えて気軽に参加できるというオンラインの特性を活かし、国内外で活躍する修了生や教職員、現役生が世代を超えて集う貴重な機会となった。久しぶりに顔を合わせた教員と修了生が旧交を温める場面も多く見られ、再会を懐かしむ和やかな雰囲気に包まれていた。参加者の声や意見を通じて、OSIPP修了生の多様なニーズを把握する機会にもなった本会は、今後の同窓会活動のさらなる発展に向けた重要な一歩となったといえるだろう。 OSIPP同窓会「動心会」公式ページ:https://www.osipp.osaka-u.ac.jp/ja/graduates/#section-01/ (OSIPP博士後期課程 辻本篤輝)
  • 同窓会

【同窓会主催】修了生インタビュー(西村慶友さん)

2020年にOSIPP博士後期課程を修了された西村慶友(にしむら よしとも)さんにインタビューを行いました。西村さんは現在大阪市高速電気軌道株式会社(Osaka Metro)に勤務され、オンデマンドバスの導入など新しいモビリティ施策の実施に取り組んでいます。インタビューにはOSIPP教員の川窪先生も同席しました。(写真: 西村さん) 1. これまでの経歴、現在の分野や職種に就職しようと思った理由を教えてください 大学卒業後、4年間は競馬新聞の記者を務めました。学生時代から競馬やプロレスが好きだったことがきっかけです。その後、消費者問題専門紙を扱う新聞社の記者などを経て、インターネットの新規事業を展開する会社に転籍しました。そこで地方創生関連の事業に携わり、2013年には日本初のふるさと納税支援事業を立ち上げました。全国120以上の自治体で導入され、地域の新しい財源確保に貢献できたことは大きな経験でした。管理職となったことをキッカケに、組織づくりや人事評価について考えるようになりました。実務をより深く学術的に裏付けたいと考え、英国国立ウェールズ経営大学院でMBAを取得しました。さらに、官民共同で関わっていたふるさと納税制度を公共政策の観点から見直すため、OSIPPの博士後期課程に進学しました。赤井伸郎先生や故・山内直人先生の指導の下、地方創生の観点から「ふるさと納税の実証分析」をテーマに博士論文を執筆しました。当時はふるさと納税に関する定量的なデータが十分ではなかったため、自治体にアンケート調査を実施し、さらに寄付者・住民を対象とする調査会社経由のアンケートも行いました。これらのデータを用いた多面的な分析により、博士論文を完成させ、博士号を取得しました。社会インフラを担う企業で力を試したいとの思いから転職活動を行い、Osaka Metroに入社しました。交通事業は未経験でしたが、新規事業立ち上げの経験が評価され、MaaS(Mobility as a Service)の創成期に参画しました。オンデマンドバスの導入など、市民生活の基盤を支える新しいモビリティ施策に挑戦しています。また、2025年の大阪・関西万博では「大阪ヘルスケアパビリオン」の出展企画を担当し、没入型シアターで「交通の発達が大阪の未来をどう変えるか」を表現しました。さらに、森之宮に開設した「e METRO MOBILITY TOWN」では、空飛ぶクルマや自動運転バスなど、リアルとバーチャルの両面で“未来の大阪”を体感できる場を実現しました。万博とモビリティタウンで示したのは、Osaka Metroが描く将来像であり、新技術を社会に根付かせる挑戦を続けています。 2. 現在のお仕事についてより詳しく教えてください! 現在は、オンデマンドバスの拡大など新しいモビリティサービスの社会実装に携わっています。交通分野は少子高齢化の影響で市場が縮小することが予想されています。その中で、Osaka Metroは公共交通を守る役割を担っています。既存の路線バスは、利用者が少なくても一定の時間・一定の距離で運行する必要があり、コストがかかる点が課題です。効率的に運用するには、需要があるときに運行し、需要がないときは運行しない設計が望ましいと考えます。タクシーのように柔軟に利用でき、路線バスのように運賃が安い――その発想からオンデマンドバスの立ち上げを行いました。現在、オンデマンドバスは大阪市24区で順次エリアを拡大し、誰もが便利に移動できる「市民の足」として定着しつつあります。仕事の魅力は、関わったサービスが形となり、人々の生活の利便性が高まる瞬間を直接確認できる点です。一方で、新しい仕組みの導入には、制度や規制、住民理解などの課題を一つずつ乗り越える必要があり、関係者間の調整には大きなエネルギーを要します。それでも、社会に新しい交通が根付いていく過程を経験できることは、この仕事ならではの醍醐味です。 3. OSIPPで学んだことは現在のお仕事にどう生かされていますか? 論文で扱ったふるさと納税の知識自体が直接業務に結び付いているわけではありませんが、論文執筆で身に付けたロジカルな思考は現在の仕事に活きています。公共政策の実務では、自治体や地域との関係構築が不可欠です。また、研究と実務をつなぐには、理論と現場の両方を行き来する姿勢が重要だと考えています。新聞記者時代から「現場に足を運び、人の声を聞くこと」を徹底し、前職では制度の事業化を経験しました。これらが博士課程での分析や現在のモビリティ施策の企画に繋がっています。学生時代には研究に集中することも大切ですが、同時に社会の現場に触れ、多様な人の声を聞く経験を意識的に持つことをおすすめします。また、統計や制度分析といった定量的スキルに加え、文章力やプレゼン力などのスキルも磨いておくと、研究成果を社会に発信し実装するうえで強みになると実感しています。 4. お仕事以外の活動についても教えてください。 赤井先生や故・山内先生の紹介でNPO関係者と交流する中で、地域活動の重要性を実感しました。そこで、子供が通う西九条小学校のPTA役員を務める中で、子どもたちの思い出に残る活動として、小学校の校庭で気球を飛ばすイベントを開催しました。これが好評を博し、多方面から声がかかるようになりました。 その後、地域活性化を目的とする「一般社団法人 この花咲くやアート協会」を設立しました。私が代表理事を務める同法人は、大阪市此花区を拠点にアートイベントを開催し、子どもから大人までが参加できるアート体験を通じて地域の活性化に取り組んでいます。2024年のイベントには6,000人以上、2025年のイベントには8,000人以上が来場し、公園全体が笑顔であふれる一日となりました。アートを通じて「正解のない時代を生きる力」を子どもたちに育みたいと考えており、これはOSIPPで得た「制度や仕組みを社会に活かす視点」を地域に応用した実践例と言えるのではないでしょうか。 5. OSIPPへの入学に興味がある学生や現在の学生に向けてメッセージをお願いします。 私は40歳でMBA、47歳で博士号を取得しました。決して早い年齢ではありませんが、OSIPPは年齢やキャリアに関係なく、誰でも温かく受け入れてくれる場です。いつでも挑戦できることを覚えていてほしいと思います。研究に没頭すると視野が狭くなることがあります。そんなときは立ち止まり、振り返り、過去の考えや初心を大切にしてください。その積み重ねが自分の軸になります。OSIPPには多様な背景を持つ仲間が集まり、議論を通じて考えを磨くことができます。研究で得た知識が直接役立たなくても、研究過程で培った力は必ず社会のどこかで役立ちます。恐れず挑戦を続け、自分らしいキャリアを築いてください。 (OSIPP博士前期課程 阿部翔弥)
  • 同窓会

【同窓会主催】修了生インタビュー(周妍さん)

2017年にOSIPP博士後期課程を修了された周妍(Zhou Yan)さんにインタビューを行いました。周さんは現在浙江大学に勤務され、近代日中間の知識人による筆談を介した学術交流に着目した研究をしています。インタビューには指導教員の河村先生も同席しました。(写真:周妍さん) これまでの経歴、現在の分野や職種に就職しようと思った理由を教えてください。ちびまる子ちゃんや聖闘士星矢など、日本のアニメ・ドラマのブームをきっかけに日本へ強い関心を抱き、日中文化交流に貢献したいと考えるようになりました。中国伝媒大学では日本語を専攻しましたが、学ぶうちに言語だけでは日中関係を十分理解できないと感じるようになりました。大学院では日中関係を多面的に理解したいと考え、OSIPPへ留学しました。大学時代からマスメディア論に興味を持っていたこともあり、OSIPPでは日中関係におけるマスメディアの働きに着目して研究を行いました。研究を続けるうちに、日中交流の長い歴史を貫く核心的な要素とは何かについて考え直すようになり、近代日中間の知識人が漢字による筆談を介した学術交流に着目した研究活動を行うようになりました 筆談で交流の様子がわかるのですか。詳しく教えていただきたいです!中国と日本の間で言葉は違えど、長い歴史の中で漢字を共有してきたことから、筆談による意思疎通が活発に行われてきました。お互いの言葉が口頭で理解できなかったときは、筆談が会談で重要な役割を果たしました。古くは隋唐時代における筆談の例が見られますし、外交使節、漂流民、知識人などによる多様な筆談記録が残されてきました。筆談は当時の交流の様子を現代にそのまま伝える史料として近年注目されつつあります。現在、私は明治から昭和期にかけて活躍した知識人で、「大漢和辞典」などを編纂した諸橋轍次に注目して研究を行っています。筆談史料を通じて近代の転換期における日中の知識人が旧学と新知をめぐってどのような議論を展開されていたのかを明らかにしながら、従来の日中交流史では語られてこなかった側面を補うことで、日中関係の実像をより多元的に描き出せることに面白さを感じます。(写真:「諸橋轍次先生の遺墨 その十二 胡適氏との筆談」(『大漢和辞典(修訂版)月報12』より)) 研究以外の仕事について教えていただきたいです。全校共通科目「東アジアにおける歴史と文化」を三年間担当してきました。毎年80人くらいが受講しています。人文系に留まらずさまざまな分野の学生が聴講していますが、日本のアニメ・ドラマをきっかけに日本の歴史や文化に興味を持った学生が意外と多いです。皆、熱心に授業に参加してくれて、時折議論が白熱することが大きな励みになっています。また、学校外での研修を担当することもあり、私も学生を香港や東京に連れて行きました。 大学教員という仕事で、大変なところはありますか。どの国の若手教員・研究者にも言えることだとは思いますが、キャリアアップの厳しい年齢制限に息苦しさを感じています。中国では、若手研究の科研費申請にしてもポスドク研究員になるにも35歳以下であることも多く、また若手研究者のタイトルの申請や副教授へ昇格するには40歳以下が理想的だとされています。特に近年では、中国の大学の国際競争力の躍進も相まって、研究環境における競争意識が非常に強くなったと感じることがあります。さながら日本における中央官庁キャリア組の熾烈な昇進争いといったところでしょうか。 大学教員という仕事で、大変なところはありますか。どの国の若手教員・研究者にも言えることだとは思いますが、キャリアアップの厳しい年齢制限に息苦しさを感じています。中国では、若手研究の科研費申請にしてもポスドク研究員になるにも35歳以下であることも多く、また若手研究者のタイトルの申請や副教授へ昇格するには40歳以下が理想的だとされています。特に近年では、中国の大学の国際競争力の躍進も相まって、研究環境における競争意識が非常に強くなったと感じることがあります。さながら日本における中央官庁キャリア組の熾烈な昇進争いといったところでしょうか。 OSIPPではどんな学生生活だったか、OSIPPでの思い出、OSIPPで学んだことで役立っていることなどを教えてください。日本に来た時点で日常生活では支障ない日本語を身につけていたものの、はじめ専門用語についていけずに講義中の議論に参加できない時期がありました。その際、先生方や先輩方、同級生に助けてもらいながらプレゼンの準備からレポートの書き方まで多くのことを学びました。当時の同級生の中には今でも交流が続いている人がいます。また、河村研のゼミでは、ウェーバー、ホッブズ、ロックやルソーといった古典について学生同士で討論し、その後先生が解説を加えるという形式で進められました。河村先生がウェーバーの著作について熱く語っていた様子を今でも鮮明に覚えています。古典にじっくり向き合って議論する過程で問題意識の気づき方や議論の組立て方といった研究の基礎を身につける貴重な時間を過ごすことができました。今もこの時身につけた方法を実践しています。ゼミや講義を通じて、ヨーロッパやアメリカだけではなく東南アジアやアフリカといった第三世界の政治・社会に関する知識に触れた際には、この世界の多様さ・複雑さに驚き、感銘を受けました。他にも、法学部や文学部などとの共通科目を通して他分野の学生同士で交流できたことも、視野を広げるいい機会でした。また、多文化共生のプログラムに参加した際には、アンケートの作成と分析を通じて社会現象を定量的に分析する方法を学ぶなど、研究の幅を広げることができました。 最後に、現在のOSIPP生にメッセージをお願いします。OSIPPには留学生や社会人学生が多く、また企業や国際機関などでの実務経験が豊富な教員も在籍しています。大阪大学随一の国際色があるOSIPPには世界を舞台にした多種多様な研究が共在しており、そのような学際的な環境のなかで学生生活を過ごせたことは素晴らしい経験だったと私自身自負しています。たくさんの交流を通じて良き師と良き友を得ることで、幅広いスキルや知識を身につけ、国際的教養人として活躍されることを期待しています。 (OSIPP博士後期課程 辻本篤輝)
  • 同窓会

【卒業生近況】 藤崎航太郎さんUniversity Collage London博士課程 在籍

2023年度にOSIPPで修士課程を修了し、現在はUniversity Collage Londonの博士課程に在籍している藤崎航太郎さんを取材しました。(写真:ウィンブルドン選手権の会場にて) なぜ現在の進路に進もうと思ったのでしょうか? まず私の経歴として、2020年9月からLondon School of Economics(LSE)に2年間在籍しました。2022年9月からはUniversity College London(UCL)の博士課程に在籍し、労働・開発経済学の実証研究を行っています。OSIPPには2020年4月から在籍し、LSEの夏休みにあたる4〜9月の期間を利用してOSIPPの博士前期(修士)課程を修了しました。 大学院進学のきっかけは阪大国際公共政策学科3年次の頃まで遡り、国連開発計画のインドネシアオフィスで約半年間インターンをした経験にあります。国連職員のポストは基本的に修士号が要件となっており、イギリスの大学で開発系の修士号を取得している同僚が多かった環境に感化され、将来は修士号を取得し、自身の専門性を活かせるキャリアを築こうと考えるようになりました。また、当時は海外インターンや留学での異文化交流を通じて、移民の経済的・社会的影響に関心を持っていました。そのため、移民政策に関する実証研究が盛んな海外の大学の修士課程へ進学することを決意しました。 博士課程への進学を考え始めたのは、LSEの修士課程が始まる前に、OSIPPで経済系科目の予習を進めていた時期でした。この頃に論文を読んだり、教員やOSIPP生から進行中の研究について聞いたりする機会や、自分が書いた学士論文や研究計画書へのフィードバックを貰う機会が増え、研究という営みをより身近に感じ、私もそれに携わりたいという思いが強まりました。また、EBPM(エビデンスに基づく政策立案)について耳にすることが多くなり、学術的研究によるエビデンスが社会に還元されるプロセスをより高い解像度で想像できるようになったことも手伝って、「海外の博士課程は金銭的支援が手厚いから食いっぱぐれる心配もなさそうだし、20代の間は研究に没頭してみよう」と考え、博士課程での留学を志しました。 現在の研究内容とその魅力や面白いところ、大変なところを教えてください 今進めている研究では、1970年代のインドネシアにおける、小学校の授業料無償化の効果が、受益者の特性によって大きく異なった事例を取り扱っています。一般的に授業料の無償化は、特に貧しい家庭の多い農村部を中心に、就学率を上げる効果が期待できます。インドネシアの場合、男子児童については予測通りの分析結果が得られたのですが、女子児童については農村部での政策効果が小さく、都市と地方間の教育格差がむしろ開いたことが分かりました。農村部の労働集約的な産業構造に加え、農村部の保守的なジェンダー規範が、女子児童への教育の普及を妨げている可能性を分析・議論しています。 この研究に関するデータは充実していますが、それでも分析結果がどのようなメカニズムを経て出てきたものかを検証するには、理論的なモデルを考えたり、複数の分析を組み合わせたりする必要があります。特に、途上国特有の文脈を経済学的な研究に取り入れるときは、文化的背景も含めて慎重に下調べをしなければならないので、難しいこともありますが、多くの学びがあります。 研究はやりがいがあって楽しいのですが、博士課程1年次の進級試験は落第する学生が毎年一定数おり、追試も無いため、精神的にやや過酷でした。また、現在終えようとしている博士課程2年次も、自分の論文を国際学会で発表する、査読誌に投稿する、研究資金を調達する、少人数授業を教えるといった新しい体験続きで、ちょっとした緊張や不安は多かったです。一方で、そうした一つ一つの仕事にも慣れてきたり、同期との仲も深まっていったりと、残りの博士課程生活への期待も高まっています。 OSIPPではどのような生活を過ごされたのでしょうか? OSIPPで開講されている経済系の授業や経済学研究科の授業を取って、経済学博士課程に向けた準備をしていました。OSIPPの授業は基本的に応用寄りでデータに触れる機会も多かったので、実証研究に関心のある私としては興味深かったです。また、水曜日のお昼は、OSIPP Lunchtime Seminar(OLS)に定期的に参加していました。このセミナーでは発表者と教員の方々の意見交換を通じて、質問・プレゼンの仕方について多くの学びを得ました。私にとってOLSは初めて研究室外で発表したセミナーでもあり、発表が終わった後も議論に付き合ってくださる先生もいて、有益なフィードバックを得ることができました。 OSIPPでじっくり修士論文を書き上げた経験は、非常に良い博士課程への準備になりました。学生数の多いLSEの修士課程では、修論指導を受けることが難しく、試験直後の数ヶ月間でほぼ生煮えのエッセイを提出することになりました。一方OSIPPでは、指導教員とのミーティングや、セミナーでの同期の進捗報告を参考にしながら、より現実的なスケジュールで研究を完成させることができました。あえて自分の関心を優先し、データの制約の多いプロジェクトに挑み、分析結果の解釈が一筋縄ではいかないなどの苦労もありましたが、当時の指導教員だった小原美紀教授が「その苦労こそ研究の面白さだよね」と言ってくださり、先生の力を存分に借りながら実践的な知識を蓄えることができました。加えて、自分の研究をとりあえず形にした経験が一つあることで、完璧主義になるあまり研究を滞らせてしまうこともなく、研究を着実に進めていく姿勢が身についたのも大きな収穫でした。 海外大学への進学を希望する場合は、学生時代にどんな準備をしておいたらよいか教えてください。 一般的な欧米の大学の経済学修士・博士課程に出願するときは、経済学科目 の成績、英語の能力、奨学金が欠かせません。これらは即座に準備できるものでもないので、常に気にしておく必要があると思います。その他、CV(履歴書)、SoP(志望理由書)、推薦状などの提出書類もありますが、経済学修士・博士課程への留学のノウハウは、インターネットで調べれば  かなりの情報が得られます。11〜1月頃の出願期の1年前から情報収集を始め、先生方と相談を重ね、戦略を立てていけば余裕をもって受験に臨めると思います。ただ、イギリスの場合は早い者順に出願書類を見る傾向があるので注意してください。 加えて、私はあまり時間をとれませんでしたが、関連分野まで視野を広げて多くの論文を読むことで、自分の研究関心がよりはっきりしてくると思います。理想を言えば、この研究者の着眼点や書き味は妙に参考になるな、みたいなイチ推し的存在が見つかると、志望先の大学も自然に絞れてくるのではないでしょうか。当時、私の熱量はそのレベルには至りませんでしたが、IDEASの分野別の大学ランキングと大学の公式ページを駆使して、各大学とのマッチ度を予想しました。それと同時に、5〜6年の海外生活になるので、気候や食文化などの観点から、どの国に住みたいかについて想像を膨らませるのも大事だと思います。 (OSIPP博士前期課程 藤原慶斗)