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【同窓会主催】修了生インタビュー(瀧田あゆみさん)

2006年にOSIPP博士前期課程を修了された瀧田あゆみさんにインタビューを行いました。瀧田さんは、国連本部でのインターンシップ等の経験を経て、現在は国際交流基金(Japan Foundation)に勤務され、人物交流や知的対話を通じ、日本と他国の信頼関係づくりに取り組んでいます。 今の職種に就職しようと思った理由を教えてください。 幼い頃、湾岸戦争のニュースに接し、「なぜ戦争するのか」「どうして平和ではいられないのか」といった素朴な疑問を持ったことが原点にあります。以来、様々な書籍を読む中で、何か自分にもできることがないかと考えるようになり、漠然とではありますが、国際社会に関わる仕事を志すようになりました。 大学や大学院で学ぶ中でも、世界規模の課題への学術的な関心と、目の前の社会との距離感に戸惑い、進路に迷うこともありましたが、転機となったのは、OSIPPでの授業や実地研修でした。特に印象に残っているのは、指導教官の黒澤満先生(軍縮国際法)からかけていただいた次の言葉です。 「日本は今戦争をしていませんが、過去60年前(当時)には戦争をしていました。今の日本は自動的に平和なのではありません。誰かが絶えず、日本と他国の関係がうまくいくよう努力しているから、友好関係が維持できているのです。」 この言葉を聞いたとき、それまで漠然と抱いていた疑問や関心が、現実の仕事のイメージと結びついたように感じました。危機が起きたときだけでなく、平時から国を越えた信頼関係を支える仕事があること、そしてその方法は色々あるものの、その努力の一端を担いたいと考えるようになったことが、自分にとって大きな転機となりました。 「最後の3フィート」を埋める対話の力 さらに、その後の研究で触れた「パブリック・ディプロマシー(Public Diplomacy)」の概念も、進路を考える上で重要な手がかりとなりました。非常に幅広い概念で、この定義や有効性については専門家の間でも様々な議論があるため詳述は避けますが、「フルブライトプログラム」などの人物交流や教育・文化・知的対話が、長期的に国と国との関係を支えるという発想は、それまで思い描いていた外交や国際関係のイメージを広げるものでした。もちろん文化交流や人物交流だけで、国際社会の課題や衝突を解決できるわけでは到底ありません。しかし、梅棹忠夫先生の「文化は安全保障の不可欠の一部である」という言葉が示すように、異なる背景を持つ人がお互いを知ろうとし、国を越えて信頼関係を築き、相互理解を深めることは、国際関係を支える「一つの方法」ではないかと考えるようになりました。 パブリック・ディプロマシー分野を代表する米ジャーナリストであるエドワード・マロ-(Edward R. Murrow)氏は次の言葉を残しています。 “The real crucial link in the international exchange is the last three feet, which is bridged by personal contact, one person talking to another.” 国際交流における真に重要な繋がりは、最後の「3フィート」にあり、それは人と人とが直接接し、言葉を交わすことで埋められるという趣旨ですが、国際関係が最終的には人と人との顔の見える関係・対話に支えられているということを端的に示す言葉だと感じました。あらゆるコミュニケーションが自動化・効率化され得る時代だからこそ、AIでは代替できない、自分の目で見て直接話を聞くこと、生身の人間が温度感を持って向き合うことの価値は一層増しているとも言えるのではないかと思います。 文化・人物交流が国際関係を支えるという問題意識を踏まえ、どのような経緯で国際交流基金の職に就かれたのでしょうか。 これまで述べてきた問題意識の延長線上で、人物交流や文化交流を通じて国際社会との関係構築に取り組む国際交流基金の活動に関心を持ち、この分野での実践に携わりたいと考えるようになりました。 就職活動の過程で一度立ち止まる時期がありましたが、その間に参加したニューヨークの国連本部でのインターンシップが次の転機となりました。国連軍縮室(当時は軍縮局)アジア太平洋センターで、国連総会や第一委員会の議論の記録・要約作成、関係会合の準備などの業務に携わりました。 その場で交わされる議論が次の日のニュースヘッドラインになっていくような、国際政治の議論の生の現場を間近で見られたことは貴重な経験であったと同時に、国際的な場において日本の立場や考え方を丁寧に伝えていく役割の重要性を実感する機会ともなりました。 こうした経験を経て、帰国後は日本に軸足を置きながら、交流を通じて国際関係を支える仕事に携わりたいという思いが更に固まっていきました。その延長線上に、現在の仕事があると感じています。 現在の仕事内容とその魅力や面白いところ、大変なところを教えてください 国際交流基金は、総合的に国際文化交流を実施する日本の専門機関(独立行政法人)で、「日本と世界をつなぐ場をつくり、人々の間に共感や信頼、好意を育む」ことをミッションとしています。現在は、国際対話部という部署で、米国、ASEAN、インド太平洋地域を中心に、研究者や実務家などが国境を越えて対話し、ネットワークを形成するためのプログラムの企画・運営や助成事業に携わっています。 国際交流基金は海外に26ヶ所の事務所があり、これまでタイ・バンコクおよび米国ニューヨークで計約8年間、海外の現場で業務にあたりました。タイではメコン川流域諸国(タイ、ラオス、カンボジア、ミャンマー)との文化・芸術交流事業を担当し、ニューヨークでは、日米間の知的交流事業を中心に、大学やシンクタンクとの連携、研究者や実務家の共同研究の支援などを担当していました。 特に印象深いのは、防災をテーマにした国際的な学び合いです。私自身も阪神・淡路大震災を経験していますが、米国ニューオーリンズがハリケーン・カトリーナの被害を受けた際、神戸の関係者と経験や教訓を共有し、復興や防災について学び合う交流事業の企画・実施の一端を担う機会がありました。その後もタイや米国で、そして日本を含むインド太平洋地域で、防災を共通の課題として経験や教訓を共有し、次の世代へと伝えていくための交流事業に携わってきました。 これらの取組では、どちらか一方が相手に知識を「教える」のではなく、災害を経験した被災地の人々同士が対話を通じてお互いの経験や知見を交換し、共に「学び合う」ことを重視しました。異なる社会背景や文化を前提とし、災害という共通課題を前に、一緒に現場を訪れ、直接言葉を交わすことで、お互いへの関心が深まり、違いを超えた相互理解や信頼が少しずつ育まれていきます。これらの過程を通じて、異なる文化や文脈、社会状況を尊重しつつ協働する関係づくりの難しさと重要性、人と人との出会いが持つ力を実感しています。 人物交流や文化交流は華やかな印象を持たれることもありますが、国際交流基金における仕事は、交流の主役である参加者の方々が出会い、交流する場を陰で支える「裏方」の仕事です。実際の業務は、事務手続きや調整など地道な作業が多々あります。成果がすぐに目に見えるとは限らず、数値化しづらいことや、成果が現れるまでに長い時間を要することも少なくありません。他方で、分野や国境を越えて人々が出会い、対話から新たな関係が生まれる瞬間に立ち会えることは、この仕事ならではのやりがいを感じるところです。交流の成果が数年、あるいは十数年後に思いがけない形で花開くこともあります。そうした人のつながりに息長く関われることに、この仕事の面白さを感じています。 現在の職種を志望される場合、学生時代にどのような準備をしておくとよいでしょうか。 今の仕事は分野が幅広く、常に新しいことを学び続ける必要があります。例えば、現在携わっている知的交流は、多岐にわたる地球規模の共通課題への、国境を越えた共同の取組を支援するため、政治・経済から、パンデミックや気候変動、高齢化や地方創生といった様々なトピックに触れますし、国際交流基金全体では、美術や映画、音楽などを始め、伝統から現代まで広い文化や言語を扱います。職員個々の学びでは限界がありますので、多様な分野の専門家の助言や協力をいただきながら仕事を進めることがとても重要になります。 今振り返ると、学生時代には、特定のスキルを磨く以上に、自分の関心を広げ、わからないことに向き合う姿勢を持つこと、専門外の分野や異なる考え方を持つ人との対話・交流、様々な体験をしてみることが、その後の仕事にも繋がっているように思います。学生時代に一見関係ないと思えた経験が、後になって思いがけず役立つことも少なくありません。 OSIPPではどんな学生生活だったか、OSIPPで学んだことで役立っていることなどを教えてください。 振り返ると、本当に多くの方々に支えていただいたと感じています。特に、国際的とは言えない環境で育った私にとって、大学院で出会った先生方の導きは大きく、学際的な授業や実地研修、時には外部専門家の招聘授業を通じて、物事を多角的に捉える視点を示し、国連インターンなどの挑戦の機会もいただきました。こうしたご指導がなければ、今の自分はなかったと思います。 また、大学院で出会った友人は、現在は研究者や記者など、それぞれの道で仕事と家庭を両立させながら活躍していますが、何かあれば駆けつけ、支え合える関係が続いています。彼女達の、足で情報を集め、自ら動いて学ぶ姿勢は、OSIPPでの学びを通じて身についたものなのかもしれません。尊敬できる友人たちの存在から、今も多くの刺激と学びを得ています。 OSIPPの留学生との交流で得られた国際的な縁も、現在の仕事に生きています。例えば、インド太平洋地域の協働ネットワーク事業で連携しているオーストラリア研究所では、偶然にもOSIPP同窓生がカウンターパートとなり、学生時代に築いた信頼関係が、国を越えた協働へと発展しています。振り返ってみると、大学院で得た最も大きな財産は、人との出会いだったと感じています。その出会いが、今も仕事や人生を支えています。 現在のOSIPP生の皆さんへメッセージをお願いします! 大学院で過ごす時間は、学内で開かれている機会を活用して多様な選択肢を知り、将来の土台をつくる時間だったように思います。具体的な進路がまだ定まっていない時期も、迷いや不安も含めた様々な経験が、後になって「点と点がつながる」瞬間を実感することもあります。OSIPPで得られる学びの時間や、先生・友人・外部専門家など、たくさんの人との出会いを大切にしながら、実り多い日々を過ごされるよう願っています。
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【同窓会主催】修了生インタビュー(末村祐子さん)

2008年にOSIPP博士後期課程を修了された末村祐子(すえむらゆうこ)さんにインタビューを行いました。末村さんは現在、大阪市天王寺区長を務められ、24区の区長会議会長としても大阪・関西万博やSDGsほか政策実現に向けた企画立案や調整業務に取り組まれています。インタビューには赤井伸郎先生も同席しました。(写真:インタビューの様子。右上が末村さん。) 今の職種に就職しようと思った理由を教えてください。 振り返ってみると、だいたい10年から12年ごとに三つのステージがありました。最初の12年間は、企業・海外・NGO・国連会議フォーラム事務局での経験です。最初の就職先は旭化成でした。男女雇用機会均等法が施行されて間もない頃のことです。人材育成に力を入れてくださる会社で、組織とプロジェクトマネジメントの基礎を学ぶことができました。その後、海外でNGOの経験を積み、最後に携わったのが阪神淡路大震災の復興事業でした。2番目の12年間は、OSIPPでの研究と複数自治体への有識者的参画を並行した時期です。OSIPPでは行政経営・行政改革・防災・NGOといった領域を中心に研究を深めながら、実務にも関わってきました。3番目の約10年間は、政策に係る知識・情報を活用した実社会での取り組みです。東日本大震災の被災自治体の復興支援から始まり、復興庁、岩手県岩泉町での副町長を経て、現在は大阪市の区長を務めています。 これら職種を選んできた理由としては、社会の成熟や全体への関心、進化することや公正であること、そのバランスなど、望ましい解への関心が強かったからだと思います。知識と経験の双方を持つ専門人材になることを個人の目標としてきました。 どうしてOSIPPへ入学することを決断したのか、詳しくお聞かせください。 阪神淡路大震災の復興事業にNGO職員として携わった後、国連会議に出席する機会がありました。当時、日本の国連会議への出席は、霞が関の職員と政治家によるチームで編成されていました。しかし阪神淡路で活動した民間企業やNGOも一緒にチームを組んで出席する体制にすべきだと、当時所属していたNGO側からアプローチしたんです。 その結果、私はNGOから国連会議の事務局に出向し、事務局次長を務めることになりました。ところが、実際に国連会議に出席してみると、海外の方々の活躍のレベルが高く、自分の知識・経験の不足を感じました。海外では、政府・企業・NGOが日頃は利害が異なっていても、国のチームとして一つになったときには協力してアジェンダを獲得していく。そういうアプローチをしっかりされていたんですね。この経験が大きな転機となり、公共政策の領域で活躍するには学際的な理論を理解する必要があると感じ、社会人にも門戸を開いていたOSIPPに入学することを決めました。 現在の天王寺区長としてのお仕事について教えてください。 現在の天王寺区区長職では、区役所業務の管理、組織管理、危機対応等の統括業務を所掌しています。大阪市は「ニアイズベター」という理念を重視しており、住民に最も近い区でさまざまな調整を行うことから、区長はそのマネジメントの統括役を務めます。また、区長は区の教育委員会事務局次長も兼任しており、この点は他都市にはない特徴です。さらに、市の各局や24区間、官民の連携を担保するために「区長会議」という仕組みがあり、昨年度からその会長職を務めています。24区で連携しながら大阪・関西万博の機運醸成やSDGsの推進などにも取り組んでいます。 大阪市の特徴として、平成24年6月施行の要綱に基づき、区長の民間からの公募制が十数年続いています。日本の公務員の世界では珍しく、こうした仕組みを継続している自治体は今のところ大阪市だけかと思います。銀行や鉄道、教育ほか多様なバックグラウンドを持つ民間出身者と、市の職員出身の方が一緒に24区の業務に取り組んでいます。 これまでのお仕事の魅力と大変なところを教えてください。 どんな仕事でも、企業でも非営利でも、人も物も資金も、これらが投じられた先では、やはり社会全体が良くなっている、安定もし、進化もしているというところにつながってほしいと考えています。その点、税を財源に、直接貢献できる、そこが地方行政の仕事の一番の魅力だと思います。 大阪市のような政令市が都市計画や環境保全などより広域的な行政を担うのに対し、基礎的自治体の場合は、福祉や教育、保健衛生などを中心に、人が健やかに生きていくということに直結する仕事ができます。行政を通じた資金やサービス、社会ニーズへの取り組みの多くが、他者や社会への貢献に直結している。これは業務上の大きな魅力です。同時に、無尽蔵かつ変化もある多様なニーズに対して、資金も職員も資源は有限です。これらを複合的に網羅し、現実の社会における最適解を見出すには、理論・知識・情報・経験による総合知という縦割りではない専門性が必要です。これまで様々な行政機関で経験を積んできましたが、それでもまだまだ自分の成長の余白がある。そこも仕事における魅力の一つです。 一方で、OSIPPで勉強すると、税をいかに正しく使うかということがとても気になるようになります。「正しい使い方」とは何か、人によって違う。そこに正面から向き合うことになります。2040年を境に人口が本当に縮小していく中で、投じたものがただ右から左に流れるだけでなく、日本社会の成長や持続可能性につながる使い方になっているかどうか。最適解を見つけることは大変ですが、そこは常に考え続けています。 最後に、現在のOSIPP生にメッセージをお願いします。 学部を卒業してすぐにOSIPPに入学する方が多いことを前提にお話しすると、国際的、そして学際的な学問の場であるOSIPPを若いうちに経験できることは、変化の時代にはことさら幸運だと思います。阪神淡路大震災の時でさえ、「これから大きく変化しなきゃ」と社会では言われていました。その後、失われた30年と呼ばれる時期を経て、今また日本は大きな変化の局面にあります。人口の2040年問題を筆頭に、高齢化が進展し、これらを背景に今まで以上に社会課題も広範かつ深刻化が増すことを考えると、限りある資源が投じられた後、ただ右から左に流れるだけでなく、全く違ったステージに突入します。地球全体でも、国際関係の変化やテクノロジーの進化など、本当に変化の時代です。そのことに正面から向き合いながら、小さくまとまらず、おおらかに、多様に経験を積んでください。 私自身も卒業した後、これまでの公共や非営利とは真逆のメカニズムを持つ市場や企業、営利の経済活動を網羅的に理解し直したく、MBAを取得しました。そこでも学問も大変進化していると気づかされましたし、出会った人たちの考えにも刺激を受けました。皆さんが生涯ずっと何かしらの形で社会に貢献できるように、いいチャレンジをともにできたらと思います。 大きく変化する時代を、OSIPPでの経験を胆力に、自己実現と利他の両方で社会に貢献されることを願っています。 (OSIPP博士前期課程 原田嵩弘)
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OSIPPオンライン大同窓会2025 開催

OSIPPオンライン大同窓会 2025年11月30日、OSIPPオンライン大同窓会2025が開催された。この会は赤井伸郎教授をはじめとする同窓会実行委員会の尽力により企画され、OSIPP修了生のネットワークの強化・および現役生や教職員との交流を目的としている。当日は修了生に加えて、現役生や現職・退職教職員が参加し、画面越しながらもにぎやかな雰囲気となった。 開会にあたっては、まず赤井教授から、OSIPP30周年記念式典をはじめとするOSIPP同窓会「動心会」の直近1年の活動報告が行われた。続いて、動心会会長の辻本賢氏の挨拶が、動心会事務局長の小林義彦氏により代読された。その後、大槻恒裕研究科長からOSIPPの現状について、教育・研究活動や学生の状況などを含めた報告があり、博士後期課程の制度改革や学際プログラム、高大連携など近年OSIPPが力を入れている取り組みについての紹介があった。 卒業生による特別報告として、田中弥生氏(前会計検査院長)による講演が行われた。実務と理論を往還しながらキャリアを重ねてきた田中氏ならではの視点から、会計検査院の役割と財政民主主義の重要性について語られた。 会計検査院は、「財政民主主義のインフラ」として機能する憲法第90条に基づき設置された独立性の高い憲法機関で、日本で唯一の財政監督機関である。検査の対象は日本銀行のバランスシートや国債発行の動向、東京オリンピック・パラリンピック関連事業、農業政策や年金制度、租税特別措置の効果など、多岐に亘る。田中氏は2024年1月に内閣総理大臣から任命され、院長としてその職務にあたった。 在任中に行ったこととして、田中氏は戦後初めて補正予算の執行状況を体系的に把握したことに触れた。そしてその結果、予算が翌年に全額繰り越しているものがあり、その半分強が執行されていないことが明らかになったと述べた。緊急に必要だという理由で組まれたはずの補正予算に執行されていないものが多いことは、どういう根拠で、どういう積算をして補正予算の要求をしているのかについて確認し、見直す必要があることを示唆する。田中氏は検査を通じて日本の財政運営に新たな視座を与えたことも強調した。 講演の後半では、田中氏のキャリアの背景にあるピーター・ドラッカーとの出会いについても紹介された。田中氏にはドラッカーから授かった2つの大きなテーマがあるという。1つは「非営利組織のマネジメントと評価」、もう1つは「ナチスの全体主義と民主主義」であり、この2つがその後の転職や生き方を大きく方向づけてきたそうだ。このうちの「ナチスの全体主義と民主主義」というテーマを通じて、田中氏は個人の関心がどのように公共の問題とつながっていくのかを考え続けてきたことが語られた。その延長線上に、財政民主主義を支えるインフラとしての会計検査院での仕事への就任があり、田中氏は「これまでやってきたことを一度すべて手放して、その役割に飛び込んだ」と振り返った。 田中氏のキャリアには、テーマを追い続けるために学びと実践を繰り返す姿勢が一貫している。非営利組織のマネジメントや政策評価を学び、国際協力銀行や会計検査院といった現場でその知見を活かしてきた。講演では、こうした学びと実践の往復運動を通じて自らのテーマを深めてきた歩みが語られた。その経験を踏まえ、OSIPPには学生や卒業生にとっていつでも戻ってきて学べる環境を提供してほしいこと、またOSIPPの現役生・修了生に向けて、「自らの関心を追求し続けること」「好奇心を大切にし、多様な人と出会うこと」「本務とは別に自分のテーマを育てる“2枚目の名刺”を持つこと」の重要性が力強く語られた。「まず望み、チャレンジすれば、必ず得るものがある」というメッセージは、参加者の心に深く響いたようだった。 同窓会の後半では、少人数に分かれてのグループ別交流会が行われた。各グループでは、ファシリテーターの進行のもと、参加者が近況を報告し合いながら、OSIPPネットワークの活用方法や今後の同窓会のあり方について活発な意見交換が行われた。参加者からは「社会人学生が履修しやすいような柔軟な学修環境を整えてほしい」といった声などが寄せられた。こうした意見に対し、現役教員からはOSIPP内で進められている議論などについて説明があり、現場の声と大学側の取り組みが交差する場ともなった。 今回で3回目となるオンライン同窓会は、地理的制約を超えて気軽に参加できるというオンラインの特性を活かし、国内外で活躍する修了生や教職員、現役生が世代を超えて集う貴重な機会となった。久しぶりに顔を合わせた教員と修了生が旧交を温める場面も多く見られ、再会を懐かしむ和やかな雰囲気に包まれていた。参加者の声や意見を通じて、OSIPP修了生の多様なニーズを把握する機会にもなった本会は、今後の同窓会活動のさらなる発展に向けた重要な一歩となったといえるだろう。 OSIPP同窓会「動心会」公式ページ:https://www.osipp.osaka-u.ac.jp/ja/osipp-links/doshinka/ (OSIPP博士後期課程 辻本篤輝)