津守・蝋山教授熱込め最終講義

←大教室が満員になった蝋山教授の最終講義

OSIPPを離任した津守滋教授の最終講義が1月29日、蝋山昌一教授の最終講義が2月19日、それぞれ共通教育管理講義棟で行われ、多数の教官、学生らが聴講した。

2月に外務省に復帰した津守教授は、「10年有半欧州に滞在して」と題して、約15年間におよぶヨーロッパでの外交官生活を回顧。外交官の心得として、「常に思いもよらぬことが起きる可能性を頭の隅に置いている」と語り、その「驚天動地」の例として、ニクソンショック、アパルトヘイト政策の終焉、ベルリンの壁の崩壊を指摘した。特に 在勤時代と重なった、ベルリンの壁の崩壊や両ドイツの統一などを中心に解説。「歴史における個人の役割」としてのゴルバチョフの重要性と、「一瞬のスキを突いて統一を成し遂げた」コールのタイミング などについて、臨場感込めて語った。終わりに質問を募り、アジアの安全保障、環境問 題における日欧の比較などについても、幅広い見識から返答した。

4月から富山・国立高岡短期大学の学長となった蝋山教授は「公共 政策学はありうるか」のテーマで講演。「『公共』という概念は、pub licの語が場合によって『公益』や『公衆』を意味し、捉えにくい。経済学では効率重視に走りがちだが、効率と公平のバランスを取るとい う意味で政策は常に公共的であるべき」と指摘。その上で、公共政策研究のあり方について、「一つの独立した学問分野としての公共政策学は存在しない。しかし、研究対象としての公共政策は厳然と存在し、 研究手法としては経済学や法学などの個別科学により、ぎりぎりと探求していくことになる。重要なのは、その成果を他の領域の専門家にもわかるように再構成、集大成すること。この集大成の過程で公共政策論としての独自の論理、手法が生まれうる」と説明した。

同教授はOSIPPの生みの親の一人であるが、創設の際、たとえば名称について「総合政策研究科」「国際公益研究科」などいくつかの案があり、議論したというエピソードなども紹介した。


津守前教授クエート大使に

津守滋・前OSIPP教授は2月12日、クェート大使に発令され、同13日 着任した。同前教授は96年4月、外務省からOSIPPの教授に招かれ、今年2月に同省に復職していた。イラクの大量破壊兵器査察をめぐる問題で中東情勢が緊迫していたため、異例のあわただしい赴任となった。

現地では米などが武力行使に踏み切った際の、在留邦人の保護、脱出問題で対応に追われたが、一旦危機は回避されたため、このほど 一時帰国、3月25日のOSIPP卒業記念パーティにも駆けつけた。津守前教授は、日英が起草した国連安保理決議1154の経緯や産油国での生活ぶりなどを話し、イラク情勢の今後については、「10月の UNSCOMの報告を見て、どうアメリカが判断するか、が一つの焦点」と指摘した。

信任状奉呈のため訪れたバヤーン・パレス宮殿で、
儀仗兵や楽隊を閲兵する津守大使。


資産管理サービス産業寄付講座

国際会議を開き終了

OSIPPの資産管理サービス産業寄付講座が主催する第7回大阪国 際ファイナンスコンファランスが3月2、3日、大阪・千里ライフサイ エンスセンターで開かれた。経済学、法学の学際的観点から議論さ れ、Univ.of British ColumbiaのGerald Garvey教授はクローズドエンドの投資信託の価格形成について報告。このファンドの価格は純資産価格(ファンダメンタルズ価値) から離れて割高、割安に推移するが、この現象は投資家のセンチメン ト(感情)からではなく、合理的市場の観点から説明がつくことを指摘した。他に香港科学技術大学のTakeshi Yamada教授、長銀総合研究所の臼杵政治主任研究員、筑波大学の弥永真生教授らが報告した。

同寄付講座はこのコンファランスをもって3月で終了し、二上季代司客員教授は日本証券経済研究所主任研究員に復帰、喜井(現・新関)三希代助手は同志社大経済学部専任講師、斎藤達弘助手は新潟大経済学部助教授にそれぞれ転任した。


[home|next|back]