蝋山、津守教授が離任へ

蝋山昌一教授が今年3月末で、津守滋教授が今年1月末で、それぞれ阪大を去ることになった。OSIPP生みの親の一人である蝋山教授、外交官出身の津守教授ともにOSIPPの看板と言える存在であり、その貢献に対するねぎらいと離任を惜しむ声が交錯している。
蝋山教授は1939年生まれ。東大経済学部卒後、東大助手から、69年に阪大経済学部講師に。同助教授、教授、経済学部長を経て94年、新設されたOSIPPに移った。昨年12月、国立高岡短大(富山県高岡市)の学長に選出され、4月からは同短大に移籍する。
同教授は金融論の権威で、近年は証取審総合部会座長として「金融ビッグバン」の研究、政策提言に傾注。早くから政策研究の大学院構想を唱え、川島慶雄・初代研究科長とともに、OSIPP創設に尽力した。
転出の理由に関して同教授は、「OSIPPも軌道に乗ってきたし、定年前に新しいことをしたかった。東大、阪大という、ある意味のエリート校に長くいたが、OSIPPには地方大学出身の学生も多い。彼らの姿勢を見てると、むしろ今の受験システムに選抜されない学生の方がいいものを持っている、という気がしたのも理由の一つ。私の持論である地方分権を自ら実践することにもなるし」と語るが、「ただ新校舎に入れないのだけが心残り」という。 津守教授も1939年生まれ。阪大法学部入学後、京大法学部に編入。卒後、62年法務省入省、65年から外務省。欧亜局審議官、ベルリン総領事(大使)などを経て96年4月から教授としてOSIPPに。2月に外務省に戻り、3月には大使に発令される予定。
同教授はOSIPPでは国連や安全保障の講義を持ったが、環境、開発、人権関係にも造詣深く、特に実務の経験に基づく貴重な視点を提供。研究室に所属する院生も一時期20人を超え、OSIPP一の大所帯であった。
同教授のOSIPP在任は当初から2年の予定であったが、振り返ると「せっかく皆さんと仲間になれたのにちょっと短い気もするが、大変得難い2年間」であったという。「役所にいると不愉快なこともあるが、OSIPPでは一度もなかった。今の学生諸君はやや覇気がない感じだが、「denken(考える)」だけでなく、ワイルドアイデアでもなんでも「schaffen(創造する)」ということも忘れないで欲しい」とアドバイスしている。
両教授の離任について、林敏彦研究科長は「OSIPP建学の礎である蝋山教授を失う影響は大きい。個人的にも私が阪大に来たのは蝋山さんと仕事がしたかったからなので。津守教授は学生数が多いのに高いスタンダードの指導をしていただいた。現場の感覚を伝えてもらい、学生らは非常に幸運だった。両教授の多大な貢献をしっかり生かしていきたい」と話している。 

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これが新校舎

OSIPP新校舎の完成予想図(パース)がこのほど公表された。 北東に向いた玄関部分は、総ガラス張りの構造で、特に目を引いている。新校舎を設計した阪大施設部によると、「学際的、先端的な研究、指導を行うには、斬新な空間の創設が必要」とのコンセプトに立ち、省エネにも配慮。将来的にはOSIPP新校舎を核として、法学部、経済学部の新校舎ともつながる構想になっている。
新校舎は6階建て、のべ床面積約3700u。昨年12月に入札が行われ、1月半ばに着工、10月末に竣功する予定。

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インターン受入先を募集

OSIPPでは今春からインターン制度を導入することになり、院生をインターンとして受け入れてくれる公共機関、国際機関、民間企業、シンクタンク、NPOなどを募っている。インターン制度は学生への教育効果のほか、受入先にとっても優秀な人材確保、対外的なPR、組織の活性化などの効果があり、現在、通産省、文部省、労働省などでも促進に向け議論されている。
OSIPPには現在、修士から博士後期課程まで約130人の院生がおり、主に経済、法律、政治学の領域において実践的、先端的、国際的な研究に携わっている。従来の大学院と違い研究者養成に特定していないので、実社会志向の強い、モチベーションの高い学生が多く、昨年の就職活動でもOSIPP院生の「専門性とやる気」が特に評価されていた。
インターンは基本的に無報酬とされるが、学生の専門知識、関心が生かされ、教育的効果があるような配慮が望まれる。期間は夏休み、春休みなどが中心。労災保険は学生側が対応する。問い合わせはマッケンジー・コリン助教授(=Colin Mckenzie,tel:06-850-5622,fax:06-850-5274,e-mail:mckenzie@econ.osaka-u.ac.jp)まで(日本語でも可)。