偶感

OSIPPを去って早二年、外務省に戻って現在ドイツ大使館で公使をしている。公使は、普段は大使を補佐し、大使が不在の際は代わって外交交渉や会合などに出席しなければならない。故あってこの三月末まで三ヶ月にわたって、臨時 代理大使を務めた。要人との会談、外交交渉、各種行事への出席・ 挨拶、ディナー、レセプションと、実に目まぐるしい日々であっ た。

そのような経験を通じ実感するのは、昨今、外交の中心的な課題として経済、社会問題の比重が飛躍的に高まっていることである。アジアの経済危機、日本の金融不安、地球温暖化防止、ユーロの導入、EUの拡大など、いずれも外交のトップイッシューとなっている。もちろん、イラクの大量破壊兵器査察拒否や国連安 保理改革など高度の政治問題もあるが、経済、社会、環境に関する問題が約七割にも及び、これらの問題が国際政治のハイポリティックスに躍り出ているのである。

先日もベルリンで日米独円卓会議が開かれ、高齢者保障問題について議論された。私も発表を行ったが、四苦八苦したことは想像頂けるものと思う。ユーロ やアジアの金融危機も然り。相手国や自国政府に説明・報告するに際し、何とこの分野での浅学非才を恥じ入ったことか。

というわけで、私の目下の読書の中心は金融、財政、社会保障などであり、新聞も日経新聞を最優先して読んでいる。また、「フォーリンアフェアーズ」誌を眺めても、国際通貨、金融、年金などに関する論文が山ほど掲載されるご時勢だ。こんなことなら、OSIPP時代に経済の先生方の話をもっと良く聞いておくべきであったと後悔している。

ことほどさように、今や経済や社会問題を中心に国内政治と外交が展開されており、経済と政治・法律のインターアクティヴな領域の研究を目指すOSIPPの重要性と先見性が再認識される。

経済の時代は平和なのか、アングロサクソン流の資本主義の蔓延とグローバリズムの進展は人々をより幸福にするのか、社会国家の看板を掲げるドイツの改革停滞のジレンマをみるにつけ、また、お家芸の経済が大不況に陥っている日本を見るにつけ、経済とは何なのか、遅まきながら興味を感じている この頃である。

(神余隆博前教授、現・在独日本大使館公使)


  研究室紹介

 村上正直助教授研究室

   (国際人権法)

ある種の艶福家だろうか、約15人の院生を抱えるが、ほとんどが女 性。「だれにでもやさしくて、とことん指導してくれる」人柄のほか、専門の人権に限らず開発や環境も扱う間口の広さが、OSIPP1、2の大所帯を形作っている。

「ええ加減にというか、まあ、のびのびやってくれ」と学生には言うも のの、実際の指導では、穏やかな物言いながらも、次々と痛いところを指摘してくる。指導教官であった川島慶雄・元阪大教授譲りの「徹底した論理性」と、「どんな論文でも叩けばほこりが出る。おかしな点があれば、敬意を払いながら、けなす」という「批判的姿勢」は、村上研究室の特徴である。

村上助教授は、生まれも育ちも京都。1976年大阪大学法学部に入学し、同大学院法学研究科修士課程、同博士後期課程に進学。86年単位取得退学し同法学部助手に、その後、新潟大学法学部助教授、阪大法学部 助教授を経て94年からOSIPP。

専門は国際法で、特に人権の国際的保障がテーマ。修士論文で人種差 別撤廃条約を扱って以来、人権問題を研究し続けるが、当時は人権は注目されず、やってもしょうがないと言う人もいたという。川島教授も難 民という用語が定着していないような時期から難民研究を始めたが、こういった先見性も受け継がれているのだろう。

振り返ると、「そもそも伝統的国際法では人権は国内事項であったのに、第2次世界大戦後の50数年で180度変わった。よくここまで進展したなあ」と感慨を覚えるそうだ。今後は人権条約の国内実施状況について国ごとに事例研究を積みあげていきたいと言う。

今年から院生の論文報告会を2ヶ月に1回は開いていくと、指導強化を打ち出した。「まあ当然、結果的にコンパの頻度も密になる」。小学校からピアノを始め、中学、高校は合唱部という同助教授は、カラオケでもメロディーラインを重視する。中島みゆき、ユーミン、Zardあたりが好みだが、「たばこを始めてから声質が落ちた」としている。

仕事の関係で妻子は新潟にいるため、当面片道5時間かけての往復生活が続く。「断崖絶壁に立ってこれしかないというやり方は精神衛生上よくない。いろんな可能性を残した上で、今やりたいことを一生懸命やって欲しい」とアドバイス。衒(てら)いのない言動をみるにつけ、「名 (正直)は体を表す」とはこういうことかと、得心がいく。


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