研究プロローグ

津守滋 教授

国際システム論、国際安全保障論

「元々自由業になりたかった」という津守教授は、三国丘高校時代、はじめ医学部を考えていた。しかし家の農業を手伝うので毎日授業に出るわけにはいかない。法学部なら多少欠席しても、と考え、弁護士を志望するようになった。
1958年、一旦、阪大法学部に入学したが(写真左)、以前からロシアに関心があり、大浦敏弘先生の助言で、ソ連刑法の泰斗(中山研一・現北陸大学教授)に師事するため、京大法学部に編入学。しだいに「労弁」(労働問題を扱う弁護士)をめざすようになった。4年で受けた司法試験には失敗したものの、国家公務員上級試験には合格、卒後の62年、法務省に入省した。
「刑事局や民事局に行ってたら間違いなく弁護士になっていた」のに、配属されたのは入国管理局。「運の尽き」と嘆いたが、振り返ればこれが転機であった。入国管理局で外務省関連の仕事に興味を持ち、約1年の闘病生活の後64年、司法試験とともに外交官試験も受験。両方通ったが、「外交官の仕事の方が面白そう。弁護士はいつでもなれるし」と翌年、外務省に入り直した。以来、独、南ア、ソ連、仏、あるいは欧亜局、経済局、アジア局などで外交の一線に立ってきたが、「悔いのない選択だった」と言う。
阪大には教養時代なじんでいたし、客員教授の経験もあったので、96年からOSIPPに。2年弱在任し、2月に外務省に復帰する。「OSIPPで私なりに会得したアカデミックな視点からの手法は、今後外交をやる上でも大変なメリットになる」と言う。またこの間、健康法のウォーキングとして毎月1、2回、金剛山を歩き続け、登頂回数は25回に及ぶ。
金剛山の足跡は消えても、OSIPPに残してきたそれは消えない。1月29日の最終講義「10年有半欧州に滞在して」が掉尾を飾る足跡になる。