院生群像

神田延祐さん

元三和銀行副会長、元DDI社長

成功っても不断の学究心

 「出願書の生年月日欄に『大正』の年号がなくって、ちょっと困り」ながらも、博士後期課程の入学試験にパスし、今春からOSIPPに通う神田延祐(のぶすけ)さん。72歳という年齢は、教授陣を含め阪大の中の最高齢。元三和銀行の代表取締役副会長、元第二電電社長、元関西経済同友会代表幹事などの経歴を持つ神田さんは、個性ある院生が多いOSIPPの中でも、ひときわ注目を集めている。
 元々学者志望でもあり、時間に余裕ができたら勉強したいと思っていたところに、同じ東大経済学部出身で三和時代から親交のあった蝋山昌一OSIPP教授に誘われ、入学を決意した。研究テーマは「(銀行と通信という)私の仕事のちょうど交差点にあたる」電子マネーについて。「技術的問題だけでなく、歴史的位置づけも含め、貨幣のヴァーチャル化としての電子マネーがどう展開していくか、考察したい」という。
 自宅が東京なので週一回、大阪に通ってくる。三和銀行・池田支店長時代に阪大周辺を「縄張り」にしていたので、あまり違和感はない様子。ほぼ半世紀ぶりの学窓は「やはりフレッシュな感じになれていい」そうで、若い院生との飲み会も楽しみにしている。
 今回の入学にあたり、86歳の義母から入学祝いをもらった。手紙には「とても勇気づけられた。私も何か新しいことをしたい」とつづられてあったという。神田さんの不断の向上心は、0SIPPの若い世代にとってもまた、大きな励みになっている。

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イ号館とツツジ

イ号館は、旧制高校の府立浪速高
等学校が現豊中キャンパスに開設
され、その高等科本館として1929
年に建てられた。現在は0SIPPの
助手室、院生研究室、コンピュー
ターデータ室などが入っている。

偶感

 留学生と議論になった。「日本人はアルファベットで自分の名前を書くとき、『姓・名』の順、『名・姓』の順、どちらにしますか」*名刺、Eメールなど英語で名前を記す機会は多いが、大勢は「Taro Yamada」式の「名・姓」順だろう。一時期、新聞紙上でも論争になったが(たとえば 年 月から 月の朝日新聞)、その後もこの傾向は変わってないようだ*同じ漢字文化圏の中国や韓国では、新聞やテレビを見る限り「江沢民」は「Jiang Zemin」、「金泳三」は「Kim Young Sam」という具合に、自らの姓名順を変えていない。「名前も一つの固有の文化なのだから、語順まで変えることはない」と韓国・東国大学の先生は言っていた*一方、「橋本龍太郎首相」という場合は、普通「Prime Minister Ryutaro Hashimoto」と、ひっくり返っている。これは一つには、相手方(この場合、英米人)を尊重して、その使用する言葉の語順に合わせようという、日本的な礼の意識もあるのだろう。だが、日本語で英米人の名前を書く際は、通常「President Bill Clinton…」は「ビル・クリントン大統領は…」としている。用いる言葉の語順を尊重するなら、ここは日本式に「クリントン・ビル大統領」でないと筋がとおらない*「Taro Yamada」式が主流なのだから、今さら逆にすれば混乱する、という意見に対し、「固有の文化」維持派は「YAMADA,Taro」として、姓に大文字を使い、さらにコンマも打てば問題ない、と反論する。ちなみに、外務省では名刺などは個人の自由だが、公式文書では「名・姓」の順だそう*「Taro Yamada」式が多いのは、元をたどれば、脱亜入欧的思考と、融通無碍な国民性にも由来するのだろう。「結局、日本人は自国の文化とかアイデンティティーとか、あまり自覚しないからじゃないでしょうか。」オーストラリアからきている学生はそう言って、うまそうに味噌汁を飲んだ。

OSIPPのSIPPO

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活動報告

論 文

著 作

学会・シンポジウムでの報告等

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松岡 博 教授

国際私法

研究プロローグ

凡庸の学生なら、授業が教授とのマンツーマンになってしまうと、たいてい身の不幸を悔いるものである。「いや、私もまさか、と思いました」。阪大法学部4年のとき(写真=左)、国際法の大淵仁右衛門先生の授業に出たら、生徒が他にいなくて驚いたそうだ。しかし、才幹のある学生は違う。しばらくすると、それを悔いるどころか、「贅沢な環境だ」と思うようになる。松岡先生は毎回一人で報告し、指導を受けているうちに勉強する楽しみがわかり、ほどなく研究者を志すようになったという。
同じ大淵研究室の4年先輩である川島慶雄先生が国際公法を教え、松岡先生は国際私法を担当、助教授の35歳のときには、フルブライト奨学生としてハーバードロースクールに留学した。当時の日本の学界では法律の文言の厳密な解釈論が主流だったが、松岡先生はアメリカ流の革新的、自由な発想を重視、実質的正義に基づく柔軟な国際私法論を展開し、先駆的業績を残した。
こういった進取の気性は学問に限らず、大学改革にも反映。学際的な新しい大学院の必要性を見通し、OSIPP創設の原動力となった。「今のOSIPPでは経済系と法政系の間に溝があるかもしれないが、どちらかに本体を置くのでなく、枠にとらわれない自由な発想で、新しいディシプリンを作るんだ、という気概でやってほしい」と語る。
 現在は副学長の職にあり、OSIPPでは協力講座教授の立場だが、その温厚篤実な人柄から学生の人気も高い。ただ、多忙過ぎて最近、愛唱の「堀内孝雄」を聞かせてもらえないという不満が出ているとか。


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