学会潮流

 この何年か関わっているPECC(太平洋経済協力会議)での、比較的政策志向の強い調査研究の一部を紹介する。筆者が主査を務める「PEO(太平洋経済展望)/構造問題」グループはこの地域の中長期の政策課題を扱ってきた。ここでは、最近の研究課題「為替変動とマクロ経済運営」を取り上げて、問題のありかを考えたい。
 95年4月に急激な円高進行で円が1ドル=90円を切ったことを覚えておられるだろうか?この伏線は前年12月のメキシコ通貨危機にあった。95年初めと今年97年5月の、タイ通貨のバーツ危機も、実はこの円高と同根だ。「風が吹けば桶屋がもうかる」というわけで、説明を要する。
 筆者が大阪大学に赴任する直前の94年3月、クアラルンプールでPECC総会が開かれた。たまたまメキシコ大使館のパーティに招待されたのだが、折りしもメキシコ大統領選挙の野党側有力候補が暗殺され、その政治経済的影響について、関係者は不安げな様子であった。今にして思えば,「メキシコ危機の通奏低音が響き始めた」とでもいうところだ。
 というのは、それまで低下を続けていた米国の金利がその年の初めに反転し、低利を嫌って海外証券投資へ向かっていた米国機関投資家が、再び国内に目を向け始めた矢先だったからだ。メキシコは90年代に入って、NAFTA加盟の前提条件として国内経済の構造改革に取り組み、「エマージング・マーケット」として華々しく登場した。先進国経済の低迷により、行き場を失った国際証券投資はこれを好感して(その他の中南米諸国にも)大量に流入、93年はそのピークの年であった。
 これに対して、94年はメキシコにとって、さながら下り坂を転げ落ちる1年となった。メキシコの通貨当局はインフレ抑制のために名目為替レートを価格安定の錨(anchor)にしようとし、米ドルにペッグしていた。ネットの資本流入が縮小すると、為替レートを維持するための市場介入によって外貨準備は急速に減少する。政治不安はこの動きを加速した。94年3月の暗殺時には104億ドル、6月の内相辞任で30億ドル、11月の検事総長スキャンダルで37億ドル、12月のゲリラ活発化で15億ドルが失われたといわれる。大幅切り下げとフロート移行を余儀なくされた12月までの間に、外貨準備は、実に年初の250億ドルから60億ドルへと約5分の1に急減した。
 投資家はいつものように「あつものに懲りてなますを吹く」から、エマージング・マーケットではアルゼンチンからタイまで国際証券資本が引き揚げ、それによる通貨不安は遠く太平洋を越えて東南アジアにまで達したというわけだ。
 で、円高との関係はいかに? ラテンアメリカは米国の「裏庭」といわれる。各国は証券資本だけではなく、貿易・直接投資を通じて米国と密接な関係をもっており、ラテンアメリカ全体への「テキーラ効果」(=メキシコ危機の波及効果)は米国の成長にとってマイナス材料であるとみなされた。95年の急激な円高は、この思惑によるドル売りが一因だったと思われるのである。
 東アジアの場合、幸いにして「テキーラ効果」は小さく、しかも短命であった。マクロ経済の安定性がラテンアメリカ諸国に比べて頑健であることも原因だ。けれども、メキシコ危機は大事な警告と受けとめるべきだと認識された(東アジア通貨当局間で介入資金相互融通協定が結ばれるに至った)。一つには、各「エマージング・マーケット」経済がこれからますます国際資本市場の統合化・証券化の波に巻き込まれて行くであろうこと、そして、発展の遅れが目立つ各国国内金融資本市場の改革・自由化を進めて行くとき、国際資本フローは国内金融システムを不安定化することが確実だからだ(97年のバーツ危機はその表れだ)。
 為替レートはどの程度伸縮的であるべきか、持続的成長を保証する内外バランスをどうとるべきか、資本市場自由化の適切な進め方は何か、など新たな国際経済環境に向けて、マクロ経済運営のあり方が再点検を迫られている。

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シンクタンク探訪

日本総合研究所

 「収益確保が一義的目標でなく、社会に向かってグローバルに貢献できるようなシンクタンクを目指してます」。日本総研関西研究事業本部長の西村信幸さんは熱を込めて語る。同社は、「日本情報サービス」として1969年に設立され、1989年にシンクタンク部門が追加されて、「日本総合研究所」となった。
 特徴としては3点あげられる。一つ目は、100%金融系のシンクタンクと異なり、住友グループを主体とした、メーカーも含む多業種の株主から成り立っているので、広範な業種を網羅できること。シンクタンク部門とシステム部門が一体統合化されている点。さらに、実践的ノウハウの蓄積があるので、事業を立ち上げるインキュベーション業務にも自信をもっていること。
 「知識エンジニアリング」(情報を知識化し、それを組み立てて新たな価値を創造すること)を合い言葉に、「実効性と斬新性を重視した、本物志向」を基本スタンスに置く。具体的には、環境、高齢化、少子化などの問題にも対応、東南アジア諸国ではシンクタンクが国家政策に影響を与えているように、同社も政策提言能力に磨きをかける。特に、日本の経済社会改善のため、「国政に対するドラスティックな批判、提言」も同社なら可能だという。
 伸び伸びした社風で、フレックスな勤務制度。ニューヨーク、ロンドン、シンガポール、香港に研究拠点があり、将来は中国にも。機関紙「アジア エコノミック レビュー」、「Japan Research Review」を発行している。

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書評

伊藤公一(公法学・教授)

 松浦氏は、大阪外大の助教授の職にあり、行政法を専攻する中堅の研究者である。氏の研究は、以前より継続して環境法であって、「環境法概説」(改訂新版)は、その年来の研究の成果を基盤にして、国内の環境法に関する問題をほとんど洩れるところなく、論じている。目くばりのきいた、バランス感覚のよい書物であるというのが、全体を見ての感想であるが、特に印象に残るのは次の二点である。
 その第一は、国内法における環境の問題は、いわゆる公害の歴史をひもといているのとほとんど同じだということである。環境に対する侵害は、国や公共団体のような公権力によってもなされるが、過去の歴史は私企業によるものが圧倒的に大きな社会問題となった。四大公害訴訟と呼ばれるのが、その代表的なものである。その際、私企業の環境破壊に対して、国などの公権力がその破壊を阻止ないし抑制する何らかの措置を講じなかったことも法的に問われたが、当面、最も重大なのは実際、環境を破壊し、住民に大きな被害を与えた当該私企業の法的な責任を問うことであった。環境に関する法が整備されていなかった当時、私企業の法的な責任を問うといっても、その法的な規定はごく限られたものしかなかった。
 その代表的な法規定、あるいは唯一といってもよい規定は、民法709条以下の不法行為の条文であった。この規定の趣旨は、故意・過失によって、他人の権利を侵害した者は、損害賠償の責任を負う、というものである。しかし、従来の不法行為論の通説・判例の考え方では、環境侵害の場合、被害住民を救済することは非常に困難であった。そのため、主として民法の研究者はいろいろ苦心を重ねることになる。
 例えば、因果関係論である。通常、自動車事故のような場合、自動車との接触(原因)とその結果被害者の受けた傷害(結果)との関係の立証は比較的容易である。しかし、公害の場合は、加害者たる企業の排出した物質(原因)と住民の被った健康上の被害(結果)の関係を、原告の住民が立証することはなま易しいことではない。専門的知識に乏しい住民が自己の疾病の原因となった物質を特定することは極めて困難であるし、かりにその物質が特定できたとしても、それが住民に到達した経路を解明して立証するのも容易なことではない。さらに、それらが立証しえたとしても、原因物質の量と疾病との間の定型的関係、被害者が原因物質を摂取した量の特定など、多くのことを立証しなければならない。これでは公害の被害者を救済することは不可能にちかい。そのため、疫学的証明説や確率的認定説等いろいろな説が提唱されて、被害者の権利救済にあたってきた。松浦氏の本書は、こういった問題のほか過失論、権利侵害論などについても要領よく的確に叙述されている。
 本書を読んで印象に残る第二の点は「環境権」に関する議論である。環境権という「権利」を裁判所はまだ認めていないし、平成5年に制定された環境基本法をはじめ法律も環境権を定めていない。これに対する批判は学説にも、マスコミの間にも強い。しかし、各種の環境規制法が作られ、また先人の努力により、不充分ながらも環境の保全がなされ、人権侵害には救済ができるようになった我が国では、環境権の最も大きな役割は良好な環境の悪化を事前に防ぐということになろう。良好な環境というのは人、所、時によって異なるし、その悪化を「事前に」抑止するという重大な機能を果たすには、あまりにもその概念が曖昧である。環境権は法に定めても今のところ抽象的な宣言規定としての意義しかもちえないように思われる。本書がその立場に立っているわけではない。
 OSIPPには国際的な環境問題に関心をもつ院生は相当いるが、自国の環境法の基礎知識を有することも必要であろう。本書の一読をすすめたい。

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NGO NOW!

温暖化防止に市民の力を

小林哲也(M2)

 今年の12月1日から10日間、国連気候変動枠組み条約の第3回締約国会議(COP3)が京都で開かれます。地球温暖化の防止に向けて、二酸化炭素等の温室効果ガス排出削減について話し合うこの会議は、約5千人規模という国内最大級の国連会議になる予定です。
 気候フォーラムは会議に向けた市民の活動を支援するために、昨年12月に結成されました。ネットワーク型のNGOとして現在、環境NGOを中心に全国から約120団体が参加しています。
 活動の中心は@問題の重要性を広く市民に伝えるキャンペーンや学習会の開催、A海外からのNGOを含め市民が会議に参加するための受け入れ準備B政府への働きかけ、の3点です。しかしまだ国内では数%の人々しかこの問題を知らないというのが実情です。従ってこれから、全国縦断シンポジウムや全国学習会を積極的に開催していく予定です。
95年の第1回会議では、ベルリン市民が7万人の自転車デモを成功させて、積極的な取り組みの必要性を、各国政府に強く訴えました。
 しかし日本を含め先進国は温室効果ガスの削減に極めて消極的であり、現状では会議の成功はおぼつきません。近年の夏の猛暑を含めて温暖化の兆候は既に現れており、決して遠い将来の問題ではありません。温室効果ガスの排出削減義務を定めた議定書を成立させるには、政府へ強く働きかけるために市民パワーの結集が不可欠です。1人でも多い市民の参加が私達の目標です。
  詳しい情報やボランティアの募集については以下にお問い合わせを。「気候フォーラム」TEL:075-254-1011、E-mail:kiko97@jca.or.jp

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交流

モニモイ・セングプタ(Manimay Sengupta)客員教授

(厚生経済学、社会的選択論)

「人間はどこでも同じ
違うの方法論だけ」

 インド出身で、オーストラリアに6年半滞在、ニュージーランドに9年、ベルギー1年半、そして、今年で日本滞在2年目になる。文化の異なる色々な国に住み、豊富な経験を積む。「仮にインドを出ずに暮らしていても、私は今の自分とさほど変わらないかもしれないが、一つだけ確信することができる。それは、多様な文化を体験したことにより、新しい環境への順応性を身に付けたことだ。だから、どこへ行ってもすぐ、アットホームという感じになる。人間とはどんな所でも基本的に同様であり、違うのは物事のやり方だけ。」
 日本については「日本人の寛大さと親切さに感動している。最も印象的なのは現代化の中でも、伝統的文化を維持している点」と話し、自身も寿司には目がない。
 デリー大学大学院で、厚生経済学の「集合的選択の諸側面」について研究、1979年博士号を取得した。その後、研究者として地球をまたにかけ、昨年は関西学院大学で教えた。OSIPPでは国際公共政策特殊講義を担当。
 現在は「自由主義、合理的選択と社会的福利厚生」を題目とした研究に取り組むが、"研究の虫"というわけでもない。ガーデニングが趣味で、読書も愛好。「最近、感動した本はリチャード・フェインマンの「The Feynman Lectures on Physics」の一部である「Six Easy Pieces」で、日常の平凡な物事に対する新しい視点を与えられた」。今秋から北海道の小樽商科大学へ。

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研究室紹介

津守滋教授研究室

(国際連合システム論、国際安全保障論)

 博覧強記の篤学として、また慧眼の外交官として、その存在感の大きい津守教授。理論と実務のバランスの取れた授業は多くの学生を引き付ける。
近年、国連改革が注目されているが、同教授は「安全保障の意味は国家や軍事の側面から、人間中心のHuman Securityに変わってきている。安保理もこの点を念頭におきながら、民主的意思決定と行動の迅速・効率性のバランスを取るのが肝心」と指摘、「国連を育て上げる」という点で日本政府の責任も大きいという。
アジアの将来については、特に北東アジアの状況を注視、朝鮮(韓)半島統一後も視野に入れた、官民、特に市民社会と連携した、中、長期的な視点の必要性を説く。
こういった問題意識を背景に、津守研究室では4月、韓国へ研修旅行に行った。板門店では「冷戦の残滓を如実に見」、安重根記念館では救国の義士の境涯に感銘を新たにした。「歴史的、地理的に密接な隣国なのに、なぜ私たちは、こうも韓国、朝鮮のことを知らないのか」、という逆説的な発見は同教授、院生の一致したものだった。
 津守教授は大阪出身、阪大法学部教養課程の後、京大法学部に編入、外務省に入り、欧亜局審議官、ベルリン総領事(大使)などを歴任。昨年、神余隆博教授(現・在独大使館公使)の後任としてOSIPPに迎えられた。
 「官庁と違い大学はヒエラルキーがなく、若い学生と気楽に話せるのがいい」と話すが、実は津守研究室はOSIPP1の大所帯。院生は20人(うち4人が休学、3人が留学生)を数え、研究分野も国連、安全保障、環境、開発、アジアの地域研究など多岐にわたる。同教授は阪大以外でも、客員教授、客員研究員を務めるので、必然、多事多端の日々となる。 それでも、学生の論文指導は真摯、かつ厳格。「各分野まんべんない精緻な指導は感嘆するばかり」と院生らは口をそろえる。
 しかし、研究室を出ると、ウオッカとカラオケを愛する1左党。気さくに学生の輪に溶け込む。アカデミズムとプラクティスの間にあって、両面からことの本質を的確に見極める同教授。その視点の背後にあるリベラルな思潮。学生はこうして、教室でも、飲み屋でも、平衡感のある柔軟な視野を獲得するのである。

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