川島慶雄教授(国際法)

「研究生活の原点はマレー大学(クアラルンプール)かな」という川島教授。 昨年、40年ぶりに同大学を訪れて感慨無量だった、と往時を懐かしむ。
 1953年に大阪大学法学部に入学=右写真=。学生時代から国際社会に興味をもちESSや「国際学生協会」などの活動に参加。1956年には同協会が主催する国 際学生会議に出席するため、7人の学生の団長としてマレー大学(当時はシンガポール)へ。2週間にわたって異文化に触れ、外国の学生と意見を交換しあった 。戦後、日本の学生が東南アジアに旅行するのはこの時が初めて。「外貨の持ち出し制限で、小遣いはわずか20ドル。不自由なことも多かったが、この海外体験の意味は大きかった」という。
 大学院進学後、国際法の中でも国家以外の主体、つまり国際組織や個人の人権問題などに関心をもったのも、この時の交流が底流にあった。
 1970年以降は、当時は研究者も少なかった難民の国際 的保護の問題に着目 、難民の地位の認定問題や国際協力などについての提言を行ってきた。
 自らの学生時代を振り返りながら、今の学生たちには「必ずしも時流に乗った研究がいいとは限らない。日本の学会の動向に惑わされず、世界のニーズに敏感に応えることこそが大事」。
 学部入学後、阪大一筋。OSIPPの創設に携わり、初代研究科長を務めた。今年度末で定年を迎えるが、1月20日から60日間は総務庁青少年対策本部が主催す る「世界青年の船」に団長として参加。40年前、マレー大学に向かった時のように若い学生たちと国際協力について語り合いながら阪大生活に終止符を打つ。


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