中核研究機関化プロジェクトスタート

 OSIPPを中核研究機関に―。大阪大学大学院国際公共政策研究科(OSIPP)は 政策研究の専門機関として一層の充実を図るため、COE(Center of Excellence =中核研究機関)化プロジェクトをスタートさせた。欧米の主要COEの研究活動について基礎調査を行い、政策研究の「ハブ」となるための体制作りに役立てる とともに、研究会やシンポジウムの定期開催、論文集及び情報紙(本紙 )の創刊など多角的な政策提言の展開を決めており、1997年度中に見込まれるOSIPP校舎の完成とあわせて、ソフト・ハード両面の充実が図られることになる。

ソフト・ハード両面の充実図る

 OSIPPは法学、政治学及び経済学を中心とする学際的教育を行う高等教育機関として1994年4月に発足。博士前期・後期の両課程に定員のそろった今年度に 文部省大学審議会の管理下から外れ、独自のカリキュラム策定が可能となったことから中核研究機関をめざすプロジェクトに着手することになった同研究科で はプロジェクトの第一歩として、欧米各国で政策研究COEと認められている機関の条件を検討する調査を民間のシンクタンクと共同でスタート、戦略策定のための情報収集に着手している。
 またスタッフの充実を図るため、国内外の大学や外務省、シンクタンクなど から多彩な客員教授を招聘、研究環境の改善がはかられ将来的にはOSIPPを世界的な政策研究ネットワークの中核にしたい、という。 OSIPPの研究活動は直接的、具体的な政策提言として生かされることを意図しており、他の研究機関ばかりでなく、政財界をも視野に入れた研究会、シンポジウムを増やしていく方針。すでに1997年1月には財団法人日本国際問題研究所との共催で、日米欧国際シ ンポジウムの開催が決まっているほか、同2月にはOSIPPの経済系スタッフらが中心となってオーストラリア・メルボルン大学で、「規制緩和」をテーマにシンポジウムを開くなど国際的な研究発表の場が設定されている。


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「中立でクオリティーの高い政策提言を―」 ―林敏彦科長に聞く

OSIPP のCOE化プロジェクトについて林敏彦研究科長に聞いた

<今このプロジェクトをスタートさせた意図は>

 OSIPPを中核研究機関とするためのいくつかの条件が現在、整いつつある 1つは時期創設3年目を迎えて、ようやく我々自身が考えていたような計画を実行できるようになったこと2つ目はOSIPPの内在的な問題つまり政策研究機関としてのアイデンティティーの確立が必要になったということ。最後に外部的要因として、近い将来関東に政策研究の新しい大学院大学ができることが決まり我々と してはこの強力なライバルに対抗するため地歩を固めておく必要があると考える

<どのような政策研究をめざすのか?>

 日本は情報量、人材とも官僚機構が最大のシンクタンクと言われているが 、行政機関による政策研究は政治的な影響を受けざるをえない。かといって民間 のシンクタンクもクライアントの意向に左右される危惧を脱しえない。OSIPPはあくまでも中立で、クオリティーの高いアカデミックな研究をめざしていく。

<関東にできる大学院大学と比べ、どういった独自性を出すのか?>

 東の大学院大学は中央官庁職員の養成及び再教育をめざす方針だそうだが 、OSIPPは関西という立地を生かして、地方分権やアジアを中心とする国際的な公共政策についての分析や提言のできる機関にしたい 今後は研究内容をシンポジウムや論文集、ニューズレター、さらにはホームページなどを通じて官僚や政 治家のみならず経済人にも語りかけていくつもりだ

<教育機関としての側面からカリキュラムの改正はあるのか?>

 学内に限定されず積極的に他の研究機関との交流を図るつもりだ。具体的にはメルボルン大学、神戸大学の各大学院との単位互換制度など学術交流を進めたい。


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提言

−リーダーシップ養成プログラム

OSIPPで開発を

野村美明


 経済や政治、行政など、日本のあらゆる部分が、閉塞感で覆われている。人々の閉塞感は、新たなリーダーを求める。体制に浸りきった現在のリーダー達には、国民の利益に立った改革のリーダーシップは期待できない。
 確かに、日本の未来を託すことができるリーダーは、派閥のボスでも高級官僚でのない。だからといって、宗教団体の教祖であってもいけない。われわれがいま必要なのは、人々に虚偽と真実を見分けさせ、一番大切だと思われるものを自由に選択させるように導くリーダーである。いいかえれば、社会が直面する深刻で複雑な問題を人に理解させ、解決に向けて人を動かす能力である。
 民主主義社会におけるリーダーシップとは、言葉を通じた説明と説得に基づくものでなければならない。しかし、伝統的な「業界」での実務や経験は、このようなリーダーの養成にはつながらなかった。日本の教育も、正確な知識と迅速な情報処理能力を重視し、自発的なリーダーシップを育てるいとまがなかった。 これに対して、権限も営利目的もない、ボランティアの市民運動から、菅直人さんなどのような新しいタイプのリーダーが生まれてきた。
 だからといって、リーダーの養成を市民運動にまかせきりにはできない。他方、教育制度の改革には、時間がかかる。コストと効果の点および組織の柔軟性からも、リーダーシップ養成のためのプログラムは、この分野で先行するOSIPPで開発すべきである。
 OSIPPでは、3年前からプロジェクト演習の1科目として、実務家や他大学の教官と共同でネゴシエーション・セミナーを開催してきた。1997年度からは村上正直助教授によるディベートのセミナーが計画されている。言葉による説明と説得能力の習得をめざすネゴシエーション、さらに意思決定の要素を加えたディベート。これらのセミナーを利用すれば、リーダーシップ養成プログラムに 必要なノウハウと教材の開発が可能である。
 OSIPPは総合的な政策立案能力をもったプロフェッショナルの養成を教 育方針とするが、精神のない専門人(マックス・ウェーバー)を増産すべきではない。生み出すべきは頭脳と心情を兼ね備えた未来のリーダーである。 日本の閉塞状況を打ち破り、日本が国際社会で名誉ある地位を占めるために、経済、政治および法律の分野でのリーダーを育てること、これこそが税金で設立されたOSIPPの責務であり、同時にOSIPPが世界につながる道なのである。 (国際取引法・国際私法、教授)

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核全廃への道筋示す

日本平和学会で黒澤満教授

 黒澤満教授(国際安全保障論)は1996年11月9日、獨協大学(埼玉県草加市 )で行われた日本平和学会の秋季研究大会で「『核のない世界を』国際法学者の立場から」と題する講演を行い=写真=、包括的核実験禁止条約(CTBT)の交渉 経過や同条約署名の法的効果、さらに核兵器使用の違法性をめぐる国際司法裁判所(ICJ)の勧告的意見の意義などについて発表を行い、核兵器全廃に向けての道筋を示した。

CTBT採択、ICJの勧告的意見評価


 この講演で黒澤教授は、最近の核軍縮の動きに言及したのち、昨年9月 採択されたCTBTについて詳述。交渉の経過や実験禁止の範囲、国際監視システムのあり方など条約の細部について言及したうえ、「たとえ署名だけで批准されなくても各国には条約の目的を壊さない義務が生じる。必ずしも十分ではないが 、歴史の流れの中で大きな意義がある」として、同条約採択を評価した。
 また、同年7月に出されたICJの勧告的意見については、同裁判所が「国際人道法原則に反する」との見解を示したものの「国家存亡の危機に際しての自衛に核兵器を使うことを違法とするかどうか、結論を出すことはできない」として明確な判断を避けたことなど、同意見の内容を分析。そのうえで「(国連総会 からの意見要請について)小田滋判事同様、最初は門前払いした方がICJのクレディビリティーが傷つかないと考えていたが、結果としてICJから出されたものは門前払いよりはよかったと考えているとした。
 最後に核兵器全廃に向け「核兵器全面禁止まで、できることを積み上げていくことが重要。STARTの交渉をスタートさせ、でロシアにとって不利になっている点を改善、さらに5大国を含む STARTの交渉に着手する一方で、非核地域の拡大を図る」など具体的な道筋を示した。


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欧州の安全保障、政策担当者と意見交換



   津守滋教授、ウィーンなど5都市訪欧

 システム統合講座の津守滋教授(国際安全保障論)は 1996年11月9-16日ウィーン、ブリュッセルなど欧州5都市を訪問、欧州安保協力機構(OSCE)、 北大西洋条約機構(NATO)などで政策担当者と欧州安全保障について意見交換をした。またベルリンでは独外務省が主催した中・東欧や旧ソ連諸国の若手外交官 のためのセミナーに講師として出席、アジア・太平洋の安全保障について講演し北東アジアの安全保障のためのサブリージョナルな枠組みの必要性を説いた。  
同教授によると、今回の訪欧では、NATOやOSCEが和平履行の主体となっているボスニア問題や、ザイールへの多国籍軍派遣の是非、さらにNATOの東方拡大などが中心的な研究テーマとなった、という。
 特にボスニアに展開されている「平和履行部隊(IFOR) 」については「デイトン合意」で定められた撤退期限( 12月20日) が迫っていたことなどから欧州での関心が高く、いくつかの選択肢(@完全撤退、A6万人のままの規模で残留、B必要最小限の治安維持ができる程度に縮小、C治安維持に加え、一定の抑止力を持つレベルに縮小)について各メリットや米国・ドイツなど各国の意向、駐留経費の負担などの内政事情、さらにはIFORと国連の関係などについて討論した。

またザイールへの多国籍軍派遣については、仏英の間にあった認識の相違や国連安全保障理事会での決議採択に至る障害などをめぐって意見の交換が行われ、直接的国益の絡まない地域への介入のあり方などが論じられた、という。
 ベルリンでは、同セミナーのほか、トムシャット・フンボルト大学教授(国際法)やハフテンドルン・ベルリン自由大学教授(国際政治学)らとの意見交換会も行われ=写真=(中央が津守氏 ) 、同教授は「欧州の安全保障構造のあり方をさぐる上で、有益な訪欧だった」としている。


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研究室紹介 蝋山昌一教授ゼミ (金融論・証券論) 


 活発な政策提言活動でも知られる蝋山教授。今年度は、住専問題などに端を発した金融システム・金融行政の改革問題について取り組み、その成果は自身が 研究会員である政策提言集団「政策構想フォーラム」の提言『これからの金融システムと金融行政―大蔵省解体論を中心に―』に反映されている。
 現在、銀行が担っている決済業務と資産運用業務について両機能は制度的に分離されるべきであり、公共的性格の強い決済業務は厳しい規制の下に安全な運用を、資産運用業務は自己責任において他の機関投資家などと自由競争を図るべきとするこの提言は、蝋山教授自身により、『論争』1996年9月号(東洋経済新 報社)誌上で展開されている。
 他国でも例がないこの制度の提案を「実行不可能」とする意見に対しては、「改革を検討する際、ある理想を基準としてもつことが大切。提言した制度そのままの実現が困難としても自己資本比率の改革など部分的に反映させることは可能」という。
また、日本の証券市場の改革についても、証券取引審議会総合部会(大蔵大 臣の諮問機関)座長として6月より審議を続けており、11月末に『総合部会・ 論点整理』を公表した。今後はこの整理に沿って、1997年6月中の具体的改革措置提言をめざしている。
 OSIPPで蝋山教授を指導教官としている学生は現在8名。銀行や保険会社からの派遣など3人の社会人と、中国・米国からの留学生3人を含み大学院生の多 様性が特徴であるOSIPPの縮図のような構成となっている。蝋山教授は「知性を高める知的訓練を行うには様々なタイプの人間がいたほうがよい。社会人、外国人と限定せずに受け入れる制度は、その点で理想に近い」と評価する。
 入学の前年に勉強のアドバイスを求めて突然、蝋山教授を訪ねた経験のある中国人留学生コ・シンさん(M1)は「日本語も金融論の知識もおぼつかなく、 予約さえしていなかった私を温かく迎えて下さった蝋山先生は本当にオープンな人と感じた」と語る。
 「学生にモティベーションがある限り世の中に通用するようになるための手伝いをしたい」という蝋山教授。日本の諸制度の検討に際し、経済学と実務の世界を結ぶ「チャネル」となれる貴重な存在として、今後も活躍が期待されている。

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交 流 金宇城・招聘教授 韓国・ウルサン大学教授 (国際法・国際関係論)

エイジアン・フィーリングで相互理解を

東アジアの新安保システム構築を研究


 「日本と韓国、中国は同じ漢字文化圏。共有している“エイジアン・フィーリング”で協力体制が築けるはず」。東アジアにおける新しい安全保障体制の構築について研究を進める金宇城・招聘教授は、日本での研究先として歴史的にも 日韓の交流が盛んな関西を選んだ。1961年 ソウル大学で修士号(国際法 )を取得後、出版・放送などのマスメディアを統括する中央官庁の「公報部」入り。2年間の公務員生活の後、ジュネーブ大学、ロンドン大学の各大学院で国際関係論を学んだ。ジュネーブでは当時、米・シカゴ大学から招かれていたハンス ・モーゲンソー教授の薫陶を受けた。
 「彼はいつも『中国を国際社会の孤児にするな』と話しておられました。その頃から、東アジアにEUのような協力体制ができないものかと考え始めたのです」。
 帰国後は一時政治家を志すが、事情により断念し1978年にウルサン大学へ。国際法を教えながら、博士論文となる「政治思想史においての自然法の展開に関する研究」を完成させた。「日本に来て痛切に感じるのは、日本が外交においてなかなか本音を出さないということ。アジア諸国への配慮もあるのでしょうが、主権国家として胸を張って国益を追求すべきです」と歯に衣を着せない持論を展開。「現代の国際社会では、国益を守るために国際協力が不可欠。ナショナリストが本当のインターナショナリストになれるんです」とも。
 日韓関係については戦争を一つの歴史的事実として冷静に見つめ直すことを主張、「加害者と被害者という視点から脱して、両国が協力して安全保障体制づくりに着手すべき」とする。
 長男(29)は現在、名古屋大学大学院で数学を、次男(27)は金沢大学大学院で日本語を勉強中。甥と夫人の弟2人は米国籍だという。外国をより深く知ることが真の信頼関係につながる、という持論を実践する国際派である。
 「東アジアの協力体制づくりは第2次世界大戦を知る世代が残っているうちにつくるのが理想。過ちを犯した世代が民主主義と平和の本当の意味を考えて議論を進めればいい。それを引っぱるのが我々、研究者の仕事です」。
 OSIPP滞在は1997年2月までだが、帰国後も両大学の交流を深めて、若い世代の相互理解を促進したい、という。

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シンクタンク探訪

三和総合研究所


 世界のベストシンクタンクに―という長期ビジョンを掲げ創設以来、順調に規模を拡大させてきた『三和総合研究所 (SRIC) 』(本社・東京都港区) は1996年、中国・上海に次いでアジア2番目の海外駐在事務所をインドネシア・ジャカルタに新設、さらにアジア10カ国地域の代表的なシンクタンクとの業務提携協定にも着手、アジアの一大情報ネットワークづくりを始めた。
 同研究所は1985年10月都市銀行系としては初のシンクタンクとして設立。当初は主に官庁や自治体を対象にしたマクロコンサルタントを手がけていたが、その後、経済・社会各分野の専門研究員を集めてコンサルティング技術、調査・分析手法を向上させるとともに1994年には抜本的な組織改革を実施。従来の調査、研究開発、経営戦略、企画管理の各本部に加えて国際、業務開発の各本部を新設した。
 「最初の10年で国内の基礎固め、次の10年でアジアのベスト、最後の10年で 世界でベストのシンクタンクに」という長期ビジョン通り事業内容、規模は順調に拡大を続け、『欧米と比較した日本の輸入障壁度』、『高齢化の進展が消費構造・市場に与える影響』、『日本型経営システムの定量分析』など、多くの調査やレポートを送り出してきた。
 長期ビジョンの第2期目に入った1996年、アジア戦略展開のためジャカルタに海外駐在事務所を開設(海外拠点としては6ヵ所目)。現地の企業・金融機関 と、インドネシアに進出している日系企業へのコンサルティング業務の拠点とする一方、アジア各国の最新情報を入手、現地で活動する企業に信頼性の高いサービスを提供するための一大情報ネットワークづくりを進めている。
 同社では今後、シンガポールやフィリピンなどにもコンサルティングの拠点 を設ける計画で、山本信孝社長は「日系企業にアドバイスするだけでなく、現地 企業に技術やノウハウを伝授して、地域の発展に資する活動を展開したい」と話している。

写真=カジュアルウェアでの出社も多い研究員(研究開発第一部の打ち合わせで)



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書 評   Foreign Direct Investment in Japan

Masaru Yoshitomi and Edward M. Graham (eds), 1996, Edward Elgar (Ltd.) , Cheltenham , UK
                   
(大阪大学附属図書館所蔵 <338. 92 YOS>)

This edited volume tackles three important policy questions: is the amount of foreign direct investment (FDI) in Japan too small? if so, why is it so small? what should the government do to promote FDI in Japan? If you have the feeling that you have heard similar questions before, you would be right as many of the issues and arguments raised in the context of Japan's trade appear again but there are some new twists. For example, lax auditing requirements in Japan's Commercial Code are suggested by Neuman as creating an impediment to FDI by making it difficult for foreign investors to evaluate the financial status of potential Japanese business partners. Notwithstanding the difficulty of determining the optimal stock of foreign direct investment in any country and what economic factors it depends on, the consensus that emerges is that the amount of FDI in Japan is in fact too small. Taking this as given, leads to the question of why and here there is a considerable divergence of views among the authors. Since the current formal legal regulations on FDI are minimal, the reasons for the low level of FDI must lie elsewhere. One approach seeks to identify obstacles or impediments in Japan to the entry of foreign companies, for example, high corporate tax rates, keiretsu and the Large Retail Store Law. Another approach suggests that the fault lies with the foreign firms themselves: they do not enter the Japanese market because they are uncompetitive or they have mistaken expectations about business opportunities in Japan. Three particularly interesting arguments concerning the low level of foreign activity in Japan are: the last 400 years of Japanese history suggest Japanese firms have superior capabilities; history also matters in that what FDI we observe today is heavily influenced by the pattern of direct regulation imposed on FDI in the past; and the characteristics of the Japanese labor market like life term employment which foreign companies do not (cannot?) offer affect the type and quality of workers they can hire and, as a result, their competitiveness. A policy maker reading the volume will come across many suggestions for government intervention, for example, the Japan Development Bank should provide increased loan facilities and better (subsidized) terms on loans to foreign companies in Japan. However, the reader gets no clear idea about which government interventions will really make a difference. It is also rather surprising that no mention is made of the 'onion' hypothesis - peeling away one layer of regulation will make no difference because of all the remaining layers of regulation. If you are looking for a balanced presentation of the issues surrounding FDI in Japan, this volume is for you. Critical commentaries on every chapter enhance the value of the volume greatly.

  Colin McKenzie(計量経済学)


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告知板 (1997年1月〜4月)

   
1月

2月

3月

4月 


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活動報告(1996年4月〜12月)


 論文発表

(五十音順・敬称略) <著書学会発表講演等については次号に掲載>


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川島慶雄教授(国際法)

「研究生活の原点はマレー大学(クアラルンプール)かな」という川島教授。 昨年、40年ぶりに同大学を訪れて感慨無量だった、と往時を懐かしむ。
 1953年に大阪大学法学部に入学=右写真=。学生時代から国際社会に興味をもちESSや「国際学生協会」などの活動に参加。1956年には同協会が主催する国 際学生会議に出席するため、7人の学生の団長としてマレー大学(当時はシンガポール)へ。2週間にわたって異文化に触れ、外国の学生と意見を交換しあった 。戦後、日本の学生が東南アジアに旅行するのはこの時が初めて。「外貨の持ち出し制限で、小遣いはわずか20ドル。不自由なことも多かったが、この海外体験の意味は大きかった」という。
 大学院進学後、国際法の中でも国家以外の主体、つまり国際組織や個人の人権問題などに関心をもったのも、この時の交流が底流にあった。
 1970年以降は、当時は研究者も少なかった難民の国際 的保護の問題に着目 、難民の地位の認定問題や国際協力などについての提言を行ってきた。
 自らの学生時代を振り返りながら、今の学生たちには「必ずしも時流に乗った研究がいいとは限らない。日本の学会の動向に惑わされず、世界のニーズに敏感に応えることこそが大事」。
 学部入学後、阪大一筋。OSIPPの創設に携わり、初代研究科長を務めた。今年度末で定年を迎えるが、1月20日から60日間は総務庁青少年対策本部が主催す る「世界青年の船」に団長として参加。40年前、マレー大学に向かった時のように若い学生たちと国際協力について語り合いながら阪大生活に終止符を打つ。


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