在外研究リポート

独人の合理性とステンレスキッチン

松繁寿和 助教授

ドイツ・マールブルグ大学日本センターに98年10月から99年2月まで滞在

私のドイツ滞在について書くように頼まれたとき、OSIPPには他にドイツに造詣の深い先生が多くおられるにもかかわらず、ドイツに関する学問的知識が皆無の私が、それも4ヶ月の滞在をもとに何か語るのはかなり気が引けた。しかし、素人がどのようにまちがった認識を持つかを示す例にでもなれば、それはそれで議論をかもすことになるやもしれず、また他の先生方から訂正やご意見を頂戴することがあれば、私自身のみならず、これから国際舞台に出ようという学生にも何らかの役に立つかもしれないと開き直り、稚拙な感想をあえて披露することにした。したがって、以下は私の個人的、勝手気ままな妄想や推測であり、学問的根拠はほとんどない。
まず、ドイツ人の合理性について少し感想を述べてみる。彼らの合理性を重んじる国民性は有名で、時にそれは他の社会で育った人間には息苦しく感じるほどと言われる。私も、最も強く印象に残ったのは、彼らのそういった側面だった。まず、感心した出来事から紹介しよう。
私事で申し訳ないが、私の子供はアレルギー性の喘息を持っている。今回も長時間の移動と時差のために、ドイツ到着早々に入院ということになった。病院や健康保険のシステムもかなり日本と違うのだが、驚いたのは彼らのとった治療方法だ。現在、日本では、ステロイド使用の是非が広く議論されているが、子供がお世話になった病院ではとにかくステロイドだった。特に、症状の厳しかった数日間は、驚くほどの量を投入し、まさに徹底した爆撃という感じだった。しかし、それ以外は水分補給ともう一つ定番の薬を使用するだけで、日本のように咳止め、抗生物質、抗アレルギー剤、ビタミン剤など細々としたものは与えない。解熱剤も渡されるだけで、できるだけ使わないほうが良いと言われたので、結局使わずじまい。症状が改善した段階で、吸入に切り替わるが使用する薬は変わらない。薬事行政や保険制度の違いからくる投薬の差もあるのだろうが、副次的なものに過剰な対処はせず、とにかく問題を引き起こしている主原因を徹底して叩くというやり方だ。これは治療を受ける側としては、実に対処しやすく納得しやすいものがある。
しかし一方で、余分と考えられるものをあっさりと捨て、投資に見合った効果を生まないことには努力しないために、社会に彩りが欠けてしまうという問題も生まれる。かなり以前になるが、ドイツ女性は常にステンレスのキッチンをピカピカに磨き上げていることに誇りを持っていると言われていた。女性の社会進出が進み、男女の役割分担が変化した現在、各家庭のキッチンがどうなっているのかよく知らないが、磨かれたステンレスが見る者に清潔感と強度への信頼感を抱かせる一方で、その飾り気の無さと無機質な冷たさが十分な安堵感は与えないように、ドイツ社会の様々な面で物足りなさを感じた。


カルテックはよかった 知る人ぞ知る大学

下村研一 助教授

アメリカ・カリフォルニア工科大学人文社会科学部に、98年1月から12月まで滞在

私は昨年社会経済研究所の西條辰義教授の紹介によりアメリカのカリフォルニア州パサデナ市のカルテック(Caltech)という大学で、文部省から研究助成金を受けながら11ヶ月間、客員研究員として在外研究を行なう機会を頂いた。
大学内の平日は研究一色。日中は皆研究に没頭し、月曜から木曜は夕食前か夕食後に必ずセミナーが開かれた。時には昼食時もランチ持参のセミナーが行なわれた。教授陣はいつ授業の準備や雑用をしているのかわからないほど次々と論文を書いていた。このような環境に身を置けば誰しもが研究する気になるであろう。私も見事に周囲の色に染まってしまった。共同研究者の教授と同僚として毎日のように意見を交わし合って一歩一歩真理に近づくと同時に、大学院生と机を並べて授業に出席しノートを取り、グループを組んで学期末レポートを作成した経験は私の研究のレベルを一段階上げ、そして将来の研究者生命を何年か延ばしてくれたように思う。共同研究は今も電子メールで継続中であるが、文字でのコミュニケーションはただただもどかしく、その度に黒板に式や図を書き大きな声で仲間達と話ができたカルテックでの日々を懐かしく思い出している。
CaltechとはCalifornia Institute of Technologyの略称であり、日本ではカリフォルニア工科大学と訳される。かの有名なマサチューセッツ工科大学(Massachusetts Institute of Technology)がMITと略されるようにCITと呼ばれることもあるが、この呼び方はあまり使われていない。ともあれCaltechにせよCITにせよ、日本はおろか全米でも一般の人々にはまずなじみのない大学名と言ってよい。米国の大学をよく知る日本の経済学者でも、マクロ経済学や応用経済学が専門ならばどんな学者が在籍するか、おそらく知らないであろう。
だが実際は西海岸一の研究レベルを持つ理工系大学であり、ミクロ経済学、ゲーム理論、そして実験経済学を専門とする経済学者の間ではその分野の錚々たるメンバーを揃えたところとして殊に有名である。また在籍する学生、教員、事務職員が研究教育業務に関係する事項に限らず日常生活に関しても上質かつ公平なサービスを学内外で享受できる体制が整っていることは、この大学で過ごした者しか知り得ない一面である。
このカルテックの「知る人ぞ知る」存在は今後も変わらないであろう。そして決して独占欲からではなく、私は変わってほしくないと思っている。なぜなら、このカルテックの「知る人ぞ知る」存在たる所以は、アメリカの大学には珍しいやや高めの「敷居」にあり、この「高い敷居」こそがカルテックの比類なく素晴らしい研究環境を支えている土台であると思うからである。

(両助教授のリポートとも次回に続く)

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