創立5周年・新棟竣工祝い 式典盛大

草創の労に感慨

竣工記念式典であいさつする黒澤研究科長

OSIPPは99年4月、創立5周年を迎え、同時に新校舎も竣工、2日には記念の各種行事が開催された。
OSIPPは、「構想自体は91年秋ごろに生まれ」(川島慶雄・初代研究科長)、関係者には「夏休みがなかった」(林敏彦・2代目研究科長)ほどの多難な準備期間を経て、94年4月に発足。法学部、経済学部、教養部(当時)の教官を中心に、学部を持たない独立大学院としてスタートしたが、当初はイ号館、法・経済学部などの建物に分散、間借りし、一期生も50人であった。その後、学生数は増加し(99年5月現在157人が在籍)、教官スタッフや授業なども充実。99年4月には、創立5周年の節目を迎え、同時に待望の新校舎の完成もみることになった。
記念行事はまず午後1時半から、竣工記念式典が新棟前駐車場の特設テント内で行われた。野村美明教授の司会で、黒澤満研究科長の式辞、岸本忠三・阪大総長のあいさつと続き、安部矩敏・文部省文教施設部大阪工事事務所長、中村道(おさむ)・神戸大学大学院国際協力研究科長、瀧澤三郎・関西経済連合会副会長らが祝辞を述べた。井内敏雄・阪大施設部長が建物の概要を説明し、終わりに工事に携わった安藤建設ら4社に黒澤研究科長から感謝状が贈呈された。
続いて、参会者らは新棟の施設を見学。講義シアター、ライブラリー、ネットワークセンター、プロジェクト研究室など斬新で機能的な施設が整い、また館内には大阪府より貸与された絵画12点も展示、見学者の間からは「近代的な機能性に加え、細やかな配慮、温かみを感じる」(中村道氏)といった感想が聞かれた。
式典の模様は阪大情報ネットワークシステムODINS3を使って中継され、ホームページ上でも同時に式典の映像と音声が流された。またマルチメディア演習室では吹田地区とのテレビ会議も実演された。
その後、会場を大阪・豊中市の千里阪急ホテルに移し、午後4時から元国連大使でフォーリン・プレスセンター理事長の波多野敬雄氏による記念講演会が、森本益之教授の司会で開催された。
 引き続き、林敏彦教授の司会で創立5周年記念式典が行われ、黒澤研究科長、岸本総長のあいさつなどの後、豊島喜則・京都大学大学院人間・環境学研究科長、フレデリック・マークル・アメリカ総領事が祝辞を述べた。
最後に大広間では盛大な祝賀会。辻正次教授が司会を担当し、黒澤研究科長のあいさつに続き、金森順次郎・前阪大総長、川島慶雄・初代研究科長がOSIPP開設期のエピソードも交えてスピーチ。神田延祐・同窓会長の祝辞の後、蝋山昌一・OSIPP前教授が登壇し「ゴシップは困るが今後いっそうGreatなOSIPP、"GOSIPP"になってほしい」と激励、乾杯の音頭をとった。参会者は学内外から250人を超え、往時の苦労話や近況報告などで和やかな歓談の輪ができていた。

  ↑250人を超える人でにぎわった祝賀会

波多野元国連大使が講演

自己主張できる外交を

 波多野氏は「国連と日本の国際化」と題して講演(=写真)。まず世界的な課題として@平和・安全保障、A人権、B開発・援助の3つの問題を提示し、日本のとるべき対応を検討。「以前、カンボジアで殉職した2人の日本人の件でガリ事務総長(当時)に詰め寄った際、『しかしPKOでは千人以上死んでますからねえ』と言われて返答に窮した」体験を語り、「日本人の人命に対する考え方は(他の国と比べて)違いがあり」「そのため、残念なから日本は危ないこと、いやなことはしない国という評価が確立している」と指摘。また開発・援助でも「日本は他国の状況を見て最後に判断し、アメリカよりは少なくてもよいだろう、などと決めるためtoo late, too littleと言われたりする」と、これまでの日本外交に対する苦言を紹介。
そのうえで「従来はこういったコンセンサス重視、あるいは白と黒の中間を取ってグレーで妥協するような姿勢で、敵を作らず発展してきたが、今後は敢えて自己主張することも必要では」と提言、そのためには教育においても明確に自らの意見を持てる人材の育成が肝要として、その点でのOSIPPの発展に期待を示した。


記念パンフも発行

記念式典に合わせて記念冊子「OSIPP 1999 PAST AND PRESENT」が発行された。新校舎の設備案内、5年間の歩み、館内に展示されている美術品の紹介などを掲載。この冊子の他、オリジナルテレホンカードや封書開封機能付きの置き時計などが記念品として配られた(=写真)。

****おことわり****

記念講演会は当初、明石康・前国連事務次長の予定でしたが、同氏が東京都知事選に立候補されたため波多野敬雄氏に変わりました。


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