「人間はどこでも同じ |
インド出身で、オーストラリアに6年半滞在、ニュージーランドに9年、ベルギー1年半、そして、今年で日本滞在2年目になる。文化の異なる色々な国に住み、豊富な経験を積む。「仮にインドを出ずに暮らしていても、私は今の自分とさほど変わらないかもしれないが、一つだけ確信することができる。それは、多様な文化を体験したことにより、新しい環境への順応性を身に付けたことだ。だから、どこへ行ってもすぐ、アットホームという感じになる。人間とはどんな所でも基本的に同様であり、違うのは物事のやり方だけ。」 |
博覧強記の篤学として、また慧眼の外交官として、その存在感の大きい津守教授。理論と実務のバランスの取れた授業は多くの学生を引き付ける。
近年、国連改革が注目されているが、同教授は「安全保障の意味は国家や軍事の側面から、人間中心のHuman Securityに変わってきている。安保理もこの点を念頭におきながら、民主的意思決定と行動の迅速・効率性のバランスを取るのが肝心」と指摘、「国連を育て上げる」という点で日本政府の責任も大きいという。
アジアの将来については、特に北東アジアの状況を注視、朝鮮(韓)半島統一後も視野に入れた、官民、特に市民社会と連携した、中、長期的な視点の必要性を説く。
こういった問題意識を背景に、津守研究室では4月、韓国へ研修旅行に行った。板門店では「冷戦の残滓を如実に見」、安重根記念館では救国の義士の境涯に感銘を新たにした。「歴史的、地理的に密接な隣国なのに、なぜ私たちは、こうも韓国、朝鮮のことを知らないのか」、という逆説的な発見は同教授、院生の一致したものだった。
津守教授は大阪出身、阪大法学部教養課程の後、京大法学部に編入、外務省に入り、欧亜局審議官、ベルリン総領事(大使)などを歴任。昨年、神余隆博教授(現・在独大使館公使)の後任としてOSIPPに迎えられた。
「官庁と違い大学はヒエラルキーがなく、若い学生と気楽に話せるのがいい」と話すが、実は津守研究室はOSIPP1の大所帯。院生は20人(うち4人が休学、3人が留学生)を数え、研究分野も国連、安全保障、環境、開発、アジアの地域研究など多岐にわたる。同教授は阪大以外でも、客員教授、客員研究員を務めるので、必然、多事多端の日々となる。
それでも、学生の論文指導は真摯、かつ厳格。「各分野まんべんない精緻な指導は感嘆するばかり」と院生らは口をそろえる。
しかし、研究室を出ると、ウオッカとカラオケを愛する1左党。気さくに学生の輪に溶け込む。アカデミズムとプラクティスの間にあって、両面からことの本質を的確に見極める同教授。その視点の背後にあるリベラルな思潮。学生はこうして、教室でも、飲み屋でも、平衡感のある柔軟な視野を獲得するのである。
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