1994年度・1995年度「ロ号館で発足したOSIPP院生会」



1994年度より発足したOSIPPですが、関係者の皆様のサポートを得て、
同年6より提供されたロ号館の一室が「院生室」の始まりです。
OSIPP発足当初には、出来立てほやほやの大学院ということで、ないものだらけ。
入学した院生も教官・事務の方々も手探り状態でした。
入学したものはいいものの、行き場がなく図書館や空教室に分散していた
当時50名の院生は、この院生室設置に大喜びをしたそうです。
ロ号館当時の院生室は、いわゆる待合室のようなもので、
パソコンもコピー機もありませんでした。
大学院ともなると、研究活動のための研究室や設備も必要となるわけで、
これらをある程度院生が自由に利用できるためには、
院生全員を会員とする自治組織が必要でした。
そこで、当時のD1であった飯田善郎さん(現・京都産業大学助教授)
が初代代表幹事として、ほどなく院生会が発足しました。
同代表は、教官・事務の方々と連携し、他の院生とも一致団結し、
OSIPPの研究環境の向上に尽力されました。
例えば、パソコンが院生室にないので、経済研究科のネットワークセンターと
パソコン使用に関する了解覚書を結び、その管理を行うなど、
一からの出発にご苦労されたようです。
当時の経済研究科ネットワークセンターの利用時間は平日は基本的に午後5時まで、
休日は閉室だったようです。
同年秋には、イ号館に事務室(翌年より共通教育棟に移転)、
および院生室(小部屋A〜F)が置かれることとなりました。
1995年度には、第2期生も入学、その秋には院生室A室にパソコン2台が設置
(ネットワークには未接続)され、
いよいよ本格的に院生の利用設備の管理が必要となってきました。
さらなる研究環境向上のための各種折衝のほか、
各院生室の鍵、パソコン、ロッカー、等の管理の仕方、
これを定める院生規約の大幅な改正問題について熱く議論が交わされたようです。
また、教官・事務と院生が集まり南紀白浜に合宿研修旅行に行くなど、
至る所でリーダーシップが発揮された時代でした。



1996年度 「シスアド創設と研究室の住み分け」



1996年度にはOSIPPも3年目を迎え、院生数も130名を超えるようになりました。
待望のコピー機や、ネットワークにつながったパソコン約20台を含む
コンピューター室(当時の呼称は「データ室」)も
この頃にイ号館内の院生研究室に設けられました。
もちろんこれらの設備は、院生と事務との信頼関係のもとで、
その管理が院生に任せられたわけであり、
この事実は今もなお忘れてはならないでしょう。
それまで2台しかなかったパソコンは幹事会が管理していましたが、
この頃からネットワークの管理には相当の労力と専門性がいることから、
新たに「コンピューター管理チーム」が院生と教官・教務の連携のもとに結成され、
幹事会から独立して運営されました。これが現在の「シスアド・チーム」の原型です。
当時は、院生でもまだパソコンをほとんど使用したことがない者も少なくなく、
シスアド・チームによる度重なる講習が必要でした。
2002年の今では学内連絡もEメールで普通に行われる時代ですが、
このころはEメールを毎日利用する人数も少なく、電話連絡が確実であったため、
大人数をかかえるOSIPP内での連絡は従来の紙による掲示板が引き続き有益でした。
情報が一元化されていないせいか、「OSIPPにはゴシップが絶えない」と言われるほど、
不完全で誤解された種々のうわさがOSIPP内に飛び交い、
院生会組織を統括する上で当時の幹事会はその事態の収集にたびたび苦慮したようです。
このような状況の中、幹事会とコンピューター管理チームが一丸となって、
ネットワーク・システムの構築と、院生に対するそのコミュニケーション環境の
周知が徹底して行われたのでした。
他方、院生室の住み分け問題も熱く議論されました。
たばこを吸いたい者。パソコンを使用したい者。研究について周りの人と相談したい者。
そして静寂の中で勉強したい者・・・。
院生室はA〜Fまで存在していましたが、その内B、C、D、Fが研究室となっていました。
それまで無法のまま自由に使われていた各部屋でしたが、
院生によって研究環境のあるべき姿に対する意識がまちまちであるため、
ここへ来て、研究室の環境を討議することをを目的に
院生会で議論が重ねられたのでした。
その結果、次のような住み分けが実現したのでした。

院生室B:私語騒音禁止。静寂を保つ。机数13。
院生室C:私語騒音禁止。静寂を保つ。机数18。
院生室D:コンピューターおよびワープロ等の機器類使用可。机数10。
院生室F:研究に関する質問や相談等の私語、コミュニケーション可。
机数17。(当時の研究室利用規約より抜粋。)

現在のOSIPP棟では館内喫煙禁止(事務室を除く)となっていますが、
当時の院生室Fは喫煙可能で、愛煙家にとってはパラダイスでしたが、
嫌煙家にとっては決して踏み入ることのない地帯であったようです。
また、院生室BとCでは私語騒音禁止でしたが、特にB室では、移動するのも
「抜き足、差し足」、また、古くなった入口のドアを両手で細心の注意を
払いながら開閉をするなど、相当気を使わなくてはならないところでした。
このように、各部屋での住み分けにともない、各部屋にはそれぞれ責任者も置かれ、
院生は(それぞれの意味での)研究環境の向上に務めたのでした。



1997年度「コピー機撤去事件」



この頃、OSIPP創設期のメンバーも減り、
院生会としても入れ替わりの時期を迎えていました。
このようなある種不安定な時期に「コピー機撤去事件」が起きたのでした。
この事件は院生全員にかかわる大きな事件でした。
院生室に設置されていたコピー機は院生会が管理し、
故障の対応も院生幹事が対応してましたが、
その事情を知らない一院生が教務の方々に対して直接その故障に関するクレームを
つけたことを受けて、当時の教務の方々が
「故障が多く、院生との信頼関係を損なう元凶となること」を理由にして
突如コピー機が撤去されたのでした。
当時の院生幹事は、教務による一方的な撤去であるとして抗議しましたが、
結局新しいコピー機が入る3ヶ月間は院生室でのコピーができない状態でした。
そもそも、故障が多かったその古いコピー機は、OSIPP創設時に、
教務の方々のご尽力によりなんとかイ号館に設置できたのもので、
院生会との信頼関係のもとに院生による管理が任されていたものでした。
この事件は、一院生といえども、このような事情を知らずにOSIPPで行動することは
全体の利益を損なうおそれがあるという象徴的な出来事といえるでしょう。
岡田康志・代表幹事(当時)は、この事件を振り返って、
「今、新棟ができ、研究環境は比較にならないほど向上した。
一期生としてもとてもうれしく思うが、研究環境というものは、
大学側から一方的に提供されるものでもないし、
院生らが勝ち取っていくものでもないと思う。
それぞれが協力し合い、先輩諸氏の助言や支援を得ながら、
ともに築き上げていくものであることを、忘れてはならないだろう
(OSIPPパンフレット『1999 PAST AND PRESENT』より抜粋)」と述べています。
また、事件後、院生幹事の努力により、
教務の方々との和解に至ったことは特筆すべきことであります。



1998年度「新棟への引越しに向けて」



OSIPP創立5年目。イ号館での院生生活も慣れてきたこの頃ですが、
ついに現在のOSIPP棟の建設が佳境を迎え、
院生会としてもこれまでの研究科設備の移転に伴う作業が急ピッチで行われたのでした。
新棟の設計に関しては前年度より院生会も関与する中で検討が進められてきました。
この年には臨時院生総会も開催され、本件については数次に亘り議論が行われました。
博士後期課程の学生のための部屋を確保することも検討されましたが、
教室等のスペースの十分な確保のため、残念ながら実現されませんでした。
しかし、60席を収容する大部屋と日当たりの良いリフレッシュ・ルームを
院生室として使うことができるようになりました。
1999年2月に新棟の工事が完了したことを受けて、各研究室、院生室、
および事務室の移動が一斉に行われました。ようやくひとつ屋根を目指し、
OSIPP関係者が新しい棟に集結したのです。



1999年度「効率性か、平等性か?−院生室座席使用方法の検討ー」



この年度より、新棟での学生生活がはじまりました。
前年度までは院生室は小部屋に分かれ、住み分けにようやく成功していた
我々院生でしたが、またまた現在の大部屋である院生室の使い方に関し、
新棟での最初の院生総会の場で大激論が交わされたのでした。
ご存知のとおり、現在の新棟での院生室研究室の座席数は60席であり、
その約3倍の院生総数から考えれば、何らかの形で座席をシェアしなくてはならない
という問題が当初から提起されていました。
「効率性か、平等性か?」というそれぞれの考え方をめぐって院生は分かれました。
経済系の一院生(永松・現OSIPP助手)は、院生総会でパワー・ポイントを
使用しながら、効率性を重視した「入札制度」の導入を熱弁されましたが、
出席者の多くはこの意見に強く反発するあまり、
平等性を重視した全席自由席制の導入に魅力を感じ、同意したのでした。
当時の院生総会への出席者のほとんどが新入生であり、
彼らの主張は「学費を払って入学したにもかかわらず、
さらに研究室での座席を得るためにお金を払わなくてはならないことは理不尽である」
といったものでした。
また、既に在校生の荷物が座席を占有していたことのまずさもあり、
院生総会での議論がやや感情的な方向に流れたことも、
平等性を重視する結論に至ったとも考えられます。
このようにして、全席自由席制となったわけですが、これを使用する院生からは、
院生室を自主管理する院生会に所属しているという意識も次第に薄れ、
幹事会の少数メンバーだけがこれらの施設の管理に負われる日々が始まったのでした。
その中でも、幹事会メンバーは新棟OSIPPでの研究活動の向上のために
日々ご尽力をされたのでした。



2000年度「院生会・幹事会存廃問題」



院生会や幹事会の存在意義はあるのか?
−あるにもかかわらず各院生からはついに忘れられた存在になったのでしょうか。
この年も幹事会のメンバーは話し合いで院生総会にて選出されたのですが、
その7名はすべて法政系となり、OSIPPの院生を代表するには偏った構成と
なってしまいました。
また、総計160名を統括するには余りにも少なすぎる数でした。
週1回、幹事会の呼びかけにより院生室の掃除が行われましたが、
ついに掃除を行っているのはほぼ幹事会のメンバーだけという残念な状況でした。
院生室が全席自由席ということもあり、本棚には自分の本を残しておくことも
できないので、その環境の不充分さを理由にして次第に学校で勉強する院生が
いなくなってしまったという新たな問題もでてきました。
他方、幹事会は研究科長等とも連携を深め、新しい設置棚やコピー機を購入したり、
トイレを改良したりと、ご活躍されました。
しかし、幹事会メンバーの声も届かず、院生の院生会に対する意識も低いことから、
ついには院生会・幹事会の存廃問題にまで発展してしまったのです。
そもそも院生室等の管理・運営を任せられておる院生会が解散されるということは、
その管理を全て教務の皆様に委ねるということでもあったのに・・・。



2001年度「院生室をゼミ別座席割り振り」



2001年度の院生総会はまさに危機的状況でした。
その出席者のほとんどは新入生であったため、
当然、院生会・幹事会の存廃問題についても議論するには不充分な場でした。
結局、その場では議論が進まないことを理由にして、
院生会・幹事会が存続することを前提として、次期幹事会の構成等については
臨時に設置されたゼミ代表者会議で継続審議されることとなりました。
毎年恒例の院生総会後に開催されている新入生歓迎パーティーでは、
新幹事メンバーを発表できないという異例の事態となったのです。
院生総会の1週間後に開催されたゼミ代表者会議では、5時間にも亘る議論の末、
今後は各ゼミ代表者が幹事を兼任すること、
および院生室は各ゼミの所属人数の割合に応じて分割されることが大枠で決まり、
なんとか決着したのでした。
これまで幹事会メンバーが緊密な関係であったのとは反対に、
ゼミ代表者で構成される新生幹事会は脆弱でゆるやかな組織としてはじめられました。
その中にあっても、院生室の週1回の掃除は各ゼミも輪番で参加する形式となったり、
9月には院生室全席に長年懸案であった有線LAN導入が完了したりと、
現在の院生室内の環境もより充実したものとなりました。



2005年度「悲願だった院生室座席の増設」


院生室の座席数は60席と限られている一方で、院生総数も年々増加していくため、
これまで大学側に座席の増設を求め続けてきた。
しかし、大学側からは「効率的な座席の利用をすれば解決できるのではないか?」
「座席を増設するスペースはない」といった回答しか得られず、座席増設の実現は
難しいと思われた。2005年度の院生幹事会でも座席増設の提案がなされたが、これ
までの大学側との交渉過程を踏まえ、@現在の院生室の利用実態を調査し、統計的
資料としてまとめること、A院生室に座席を創設するスペースがないか測量するこ
との2点を実施し、これらの資料等を大学側に提出した。さらに、これまでの度重な
る院生側の要望に理解を示してくださった何人かの先生方のご尽力も賜った結果、
10席分の増設が認められ、3月下旬に新しい座席が設置された。





「歴代代表幹事(敬称略、所属ゼミは当時)」



1994年度 初代代表幹事  飯田善郎(橋本日出男ゼミ)
1995年度 2代目代表幹事 原島 求(高阪章ゼミ)
1996年度 3代目代表幹事 小山田和彦(橋本日出男ゼミ)
1997年度 4代目代表幹事 岡田康志(江口順一ゼミ)
1998年度 5代目代表幹事 古川浩司(星野俊也ゼミ)
1999年度 6代目代表幹事 藤本晃嗣(村上正直ゼミ)
2000年度 7代目代表幹事 谷口真由美(村上正直ゼミ)
2001年度 8代目代表幹事 山根達郎(星野俊也ゼミ)
2002年度 9代目代表幹事 池田丈佑(星野俊也ゼミ)
2003年度 10代目代表幹事 中島 満(黒澤満ゼミ)
2004年度 11代目代表幹事 吉田康寿(星野俊也ゼミ)
2005年度 12代目代表幹事 工藤正樹(黒澤満ゼミ)
2006年度 13代目代表幹事 John Ribeiro(野村美明ゼミ)


(「院生会の歴史」 文責:山根達郎・2001年度代表幹事)